中町の飼育所を出てから、2ヶ所で飼育所が見つからず、3ヶ所目の漆原中央稚蚕飼育所を捜索。
漆原中央と、吉岡農協、それに先ほど訪れた中町が、吉岡南部の農家にとって主要な稚蚕仕入れ先だったそうだ。その他に、自家で稚蚕飼育をする農家も多かった。
結局、漆原中央稚蚕飼育所はなくなっていて、跡地は建売住宅になっていた。だが、漆原集落のなかで、異形の三階養蚕農家を発見。
群馬県の養蚕農家は明治時代から巨大化し、2階化、3階化は珍しくなく、3階の小屋裏に力天井で床を張った4階の農家すらあった。そうした巨大農家は、容積率を確保しやすい切妻屋根の構造が多い。
この農家は、もとは兜造りという寄棟の軒を切り上げた2階造りだったのを、その上に切妻屋根を載せて強引に3階化したものではないかと思われる。
それにしても、なんという力技。
もはや3階民家という形容では表現しきれないド迫力である。「漆原カイコ要塞」と呼びたいと思う。
(2008年05月01日訪問)