新井の猪土手を見たあと、もうひとつ別の猪土手に連れていってもらった。名前があるのかどうかわからないが、小字をとって「長岡の猪土手」と勝手に命名。
ここにも文化財の看板が立っている。
遺構は、新井よりもさらにわかりにくかった。
写真中央奥で2本の細い杉が右に傾いて生えているあたりがすこし盛り上がっているように見えるのが、土手の跡ではないかと思われる。
ちなみに、この場所には夏にも来たことがあるが、雪があるときのほうがまだわかりやすい。
この場所は、地図に書かれたひと続きの猪土手の延長上ではなく、さらに標高の高い場所になる。場所は地図の赤丸の付近だ。
このあたりは森林地帯で、現在は人工林が続いている。古くは薪炭林があったのではないかと思われる。案内板には猪土手は幾重にもなっていたと書かれていたが、大きな村落があったとも思えない場所だから猪土手があるのは不思議だ。
村落を囲むものではなくて、開拓者が自分の畑を囲ったものかもしれない。
(2012年02月12日訪問)