下高尾大鳥は、棚田の続く狭い谷戸の奥まった字だ。高崎からわずかの距離に、こんな静かな山里の風景があるというのが驚きだ。
その山里の行き止まりに近い村外れに、ヤブに埋もれるようにして飼育所があった。
通常、稚蚕飼育所は集落の中心のような比較的便利な場所に作られる場合が多いのだが、この飼育所はまるで迷惑施設でも作るような立地にある。
道路からは段差があり、アプローチも悪そう。これまでに見てきた飼育所とはかなり雰囲気が違う。
構造はブロック積みの壁構造で、小屋は軽量鉄骨、屋根はスレート波板葺き。
内部は片廊下型で室が3つ並んでいた。室の反対側が引き戸になっているというのは祖母島北部稚蚕共同飼育所と似ているが、時代はずっと新しい。
室の上に、一つずつ高窓があるのは、ブロック電床育の特徴。どうしてこんな開け閉めしにくい場所に窓を付けたのか不思議でならない。
蚕箔を支える梁は塩ビ管でできている。これは鉄製蚕座時代の特徴なのであろう。
電床線がまだ残っていた。稚蚕飼育が終わったあと、何かに転用されることもなく、そのままになっているようだ。
温度検知器と思われる装置。
稚蚕は齢によって飼育温度が微妙に違うので、設定温度の変更が必要になるのだが、それらしきスイッチやダイヤルがない。左右についている真空管のような部品を取り換えて温度をコントロールしたのだろうか。
飼育室の北側は半地下になっている。
ここは貯桑室だったと思われる。
さきほど立ち寄った中野殿の飼育所の貯桑室もこんな感じなのだろう。
挫桑機が残っていた。床に固定されているようなので、この場所で使われたのだろう。
動力のモーターも床に固定されていて、ベルトで挫桑機に動力を伝えるようになっている。
養蚕用乾湿計。この温度計、2009年の時点でまだ新品が購入できるらしい。
室の中ではなく、なぜか室の外側に取り付けられていた。この飼育所は室に覗き窓もなく、内部の温度を計る専用の乾湿計もないことから、温度の確認がしにくかったのではないかと思う。
謎の器具。直感的には籾すり機か唐箕のようにも見えるが、これが稚蚕飼育にどのように使われるのかは見当がつかない。
将来の課題として写真だけ残しておく。
外周には稚蚕飼育用の箱のフタだけがなぜかいくつも捨ててあった。このフタには換気用の穴が開いているのだが、飼育を始めるとき紙で封をしておき、飼育が進むにつれて紙に穴をあけて通気穴を増やしていくのだという。
こうした飼育箱は個人が稚蚕飼育するのに用いたもので、時代的には古いものだ。鉄製の蚕箔が使われた時代とは合致しないと思うのだが、なぜこんなところにフタだけ捨ててあるのだろう。
(2008年05月02日訪問)