新寺稚蚕共同飼育所

建て増しした部分で3齢飼育をしたのではないか。

(群馬県安中市磯部2丁目)

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なんとなく地図を見ていたら、磯部駅の近くに稚蚕飼育所の表記があった。インターネットの地図サービスって、どうして地図上のラベルを検索できないのだろう。パソコン上に表示されている単語を、眼で見て探すなんて非効率の極致だと思うのだが。

とにかく、機会があったら行ってみようと思っていたところ、初詣でで妙義神社に行くことがあったので、その途中に立ち寄ってみた。

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建物は木造。

越屋根は大型で、四方に採光がある。

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現在でも表札が出ており、「磯部農協モデル組合新寺稚蚕共同飼育所」とある。

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建物は東西に長く、こちらは東側。

宿直室や貯桑場がある側だ。屋外に屋根が張り出していて、手洗いや消毒槽があった。

雨の日などにちょっとした仕事ができるし、暑い日に直射日光を避けることもでき便利だったろう。

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内部は、入ってすぐに宿直室。

地下が貯桑場だが、すでに床が抜けていた。

長押にたくさんの表彰状がかけられていた。見たかったが、危なそうなのでやめておいた。

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唯一、室外にあって確認できた表彰状。

どうも、地域で農業共済の加入率が高かったことを表彰されたもののようだ。

農業共済は損害保険の一種だ。現在、米と麦の農家は強制加入だが、他の作目の加入は任意。養蚕も任意加入だったのだろうか。

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宿直室の前は物置きと地下室への入口になっている。右手に見える土間が挫桑場だったのだろう。

挫桑場は床があるのが一般的。ここのように土間になっていると衛生管理がやりにくかったのではないかと思う。

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作業スペースには黒板が残っていた。最後の飼育で書いたままになっているのだろう。「晩秋蚕期」と書かれており、「集合時間 朝 7:00 昼 1:15 夜 8:00」とある。夜8時から作業が開始されるのは大変だったろう。

現代の稚蚕飼育所はほとんどが人工飼料育なので、日中の作業のみで育てることができる。

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棚には「昭和燻蒸器」という箱があった。

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ホルマリンを気化させて室内を殺菌するための装置のようだ。

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飼育室を見てみる。

木造の和小屋。室は2室がつながった土室電床育。

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数字が旧字体になっている。

建物の造りが古いので、建てられたのは昭和30年代の前半くらいではないかと思う。

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土室の内部。

下部の通気孔の部分には土管がなくやや省略ぎみだ。

年代からみて、最初は木炭による炭火を使い、途中から電床育になったのだろ。

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建物の西側は、ブロック造の建物が継ぎ足したようになっている。

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その内部。

土室はなく、部屋全体で棚飼いをしていたようだ。おそらく2齢までを土室で飼育し、3齢をこの部屋で飼育したのではないか。

天井板があるのは、室内を加温しやすくするためで、これは大部屋方式の飼育方法である。

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桑つみカゴが残っていた。

(2012年01月01日訪問)

土葬の村 (講談社現代新書 2606)

新書 – 2021/2/17
高橋 繁行 (著)
筆者は「土葬・野辺送り」の聞き取り調査を30年にわたって続け、平成、令和になっても、ある地域に集中して残っていることを突き止めた。
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