次の目的地に向かう途中、偶然に発見した飼育所。
木造の土室電床育と思われる建物だった。
この建物にはまだ看板が残っていて「昭和五十七年 多井戸稚蚕共同飼育所」と書かれている。
昭和57年(1982)といえば、稚蚕飼育所の歴史の中では末期である。その時期にこのような、木造、土壁、瓦葺き、土室電床育の飼育所が新設されていたのだろうか。
これまで私は、東毛地方にブロック電床育が多く、西毛地方に土室電床育が多い理由として、「西毛は古い土室育の飼育所を修理して使うことが多いから」と漠然と考えていたのだが、どうやらその推論は間違っているようだ。
ブロック電床育+軽量鉄骨造の飼育所や、それよりさらに近代的な機械式の飼育所が建てられていた時期にも、西毛では木造の飼育所が建てられていたことが、この飼育所からわかった。
つまり、土室電床育とブロック電床育は年代的に前後の関係にあるのではなく、同じ時代に並行して建設されていたということになる。
建設費でみたらブロック電床育は高くついたはずだから、コストパフォーマンスのよい木造建築が残ったということなのだろうか。
同じ敷地内には、大型の壮蚕飼育棟もあった。
(2008年09月21日訪問)