上引田の壮蚕飼育場

現役で稼働している多段循環式飼育装置。

(群馬県甘楽町白倉)

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地図を見ていたら上引田という字に壮蚕飼育場らしきものが載っていたので行ってみた。「壮蚕(そうさん)」というのは、カイコの4~5齢幼虫のことをいう。それに対する言葉「稚蚕(ちさん)」は1齢~3齢を指す。

行ってみると建物の廻りに桑の樹が何本か生えていて、いかにも養蚕が残った地方という風情だった。

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看板には、「昭和55年度養蚕近代化促進対策事業 上引田養蚕近代化組合」という表記。この時代、養蚕にたくさんの助成が行われたのだろう。

もっとも、現代でもエコカー減税やエコポイントという名目で、数千億円という税金が自動車や家電メーカーに注入されるのだから、この当時の養蚕のパイロット事業などに使われた金額などかわいいものかもしれない。

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軽量鉄骨、スレート波板葺きの倉庫っぽい建物が3棟残っている。うち2棟は壮蚕飼育場だ。残り1棟は資材やトラクターなどの倉庫かもしれない。

壮蚕飼育施設は、以前に高崎市中室田安中市松井田町で見たことがあるが、いずれも外から見ただけで中がどうなっているのかわからないままだった。今回はちょうど飼育シーズンということもあって、設備が稼働中で、中を見せてもらえることになった。

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これまで、稚蚕飼育所をずいぶん廻ってきたが、壮蚕飼育をしている農家を紹介するのは初めてになる。その最初に紹介するには、少しここは特殊な例だということを断わっておきたい。

昭和50~60年ごろの養蚕は、規模拡大と機械化によってコストを削減し、安い外国産の繭に対抗しようとしていた。だがそれが成功しなかったのは歴史が語るとおりである。つまりこの施設のようなカイコの飼育方法は、国が描いていた夢のビジョンの名残といってもよいものだ。

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高額な機械を導入した助成事業は、確かに生産性を向上させた。しかし生産性向上にも限度はあったし、製造原価を押し上げた結果、むしろ経営熱心な大規模農家の養蚕からの撤退を早めてしまった側面もあったと思う。

実際、21世紀までに残った数百戸の養蚕農家をみると、養蚕に大きな投資をしなかった小規模農家が多い。借金もないが儲けも少ない、それでも倒れない農家だけがかろうじて養蚕を続けている状態である。

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ここで使用している飼育台は、「信光B.X-V型」という多段循環式蚕座。いまも現役で残っている機械式の蚕座はだいたいがこのタイプだ。「蚕座(さんざ)」とはカイコを置く場所、というような意味である。

循環式蚕座には、ゴンドラの下部が開閉して除沙できるタイプと、開閉できないタイプがあるようだ。これは開閉できるタイプ。

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この施設を組合から引き継いで利用している黒沢さんに飼育の様子を見せてもらった。

きょうは朝から雨だったため、飼育室には桑が大量に備蓄されていた。カイコには濡れた桑を与えてはいけないので、天気予報をみて事前に収穫して備蓄しておいたものだ。

稚蚕飼育所では、桑を貯える専用の地下室を持っているがこの施設には地下はない。

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飼育棟には本来3レーンの多段循環式蚕座が設置できるが、残っているのは1レーンのみ。さらに、ゴンドラの半分は空いた状態なので、この施設のキャパシティの1/6の規模で運用してることになる。

機械がすべて動いていた全盛期には、この設備を3戸の農家で使用し、年間で4トンの繭を出荷したという。

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これが給桑風景。ゴンドラが動くため人間が歩き回ることなく効率的だとされている。おそらく厳密に計測したら人間の消費エネルギーは少ないのだろう。

だが循環式蚕座を使っていない農家をみてみると、熟達した作業者の給桑は非常にスピーディーだ。おそらく多段循環式蚕座のメリットは作業のスピードアップよりも、少ない敷地でたくさんの頭数を飼育できることなのだろう。

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カイコは5齢幼虫の末期。

数日以内に繭を作るはずだ。

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飼育棟の南側には、上蔟室がある。

上蔟(じょうぞく)」とは、繭を作る準備が整ったカイコをマブシという用具に移すことをいう。

上蔟室は風とおりのよい2階にあるため、リフトでカイコを上げられるようになっていた。

(2008年09月21日訪問)