「お寺でお昼をご馳走するヨ」
職場の世話人が日曜日の午前中から迎えに来た。連れて行かれたのは、パアン市街の外れにある目立たない僧院だった。
本サイトで「○○僧院」と言うときは、出家や修行が主体の寺のことである。装飾された総門や小さなパゴダがあるから寺だとわかるが、私は歩いていて僧院があっても中には入らない。たぶん入っても怒られないとは思うが、やっぱり場違いに感じてしまうのだ。
僧院の前の駄菓子屋。ほんと、住宅街にこういう駄菓子屋がたくさんある。商売が成り立つのが不思議だ。
寺の名前は「シュワーテ僧院」。
総門は柱が立派だ。
これまで見てきた寺の総門はどれも異なるデザインで、いまのところ分類可能かどうかもわからない。たくさん見たら「○○型」などと言えるようになるのだろうか。
寺の中は移動路がコンクリで舗装されている。
これは裸足になるべき場所だなと判断して、車から降りるときにサンダルを脱ごうとしたら「脱がなくてイイヨ」と言われた。同行した地元の人もサンダル履きのまま歩く。
仏様にお参りするのが目的のときは裸足になり、他の用事で寺に行くときはサンダル履きでいいのか? これは今後も注意して観察しておこう。
この僧院にはいわゆる本堂はなく、パゴダも境内の隅のほうにあるだけで、修行のための建物が中心に並んでいる。
パゴダ等へは参拝せず、いきなり
ベランダに水道があり手を洗ってから室内に入った。
炊事場では女たちが働いている。
食堂では若い修行僧たちがテーブルを囲んで食事をしていた。
以前バゴーで、僧の食事風景が見学できる観光化された僧院に行ったことがあるが、ここはどうもそういうふうでもなさそう。
ちなみに、ミャンマーの僧院の昼食(?)は午前十時半ごろらしい。
テーブルに座って配膳を待っていると一人の修行僧が近づいてきた。
「オレわかる? オレだよ、ホラ」
あーーっ、昨日ズェガビン登山したときに送迎してくれたお兄ちゃんではないか。昨日はまだ髪の毛ふさふさだったのに・・・。
実はこのお兄ちゃん、世話人の甥っ子さんで今日から出家したのだ。その晴れ姿をみんなで見に来たのであった。出家初日というのに、けっこうサマになっている。
食事はこの地方の伝統的な料理。
ブタやマトンのカレーだ。カレーと言っても日本のカレーとは異なり、どちらかといえば豚肉の角煮に近い料理。肉をご飯にとりわけて、その煮汁というかほぼ油しかないルーをご飯にまぶして食べる。
激辛ではないし、それなりに美味しい。しかし、朝昼晩と脂っこい副食ばかり食べる生活はきつかった。
食堂には他にも在家の人たちが食事をしていた。
きっと出家した我が子を見に来た人たちなのだろう。
ミャンマーの仏教徒は一生のうち最低一度は出家するのだそうだ。子供のころに出家することが多く、一回の出家で90日間、寺に入る。
もしかすると炊事場で働いている人たちも信徒なのかもしれない。
食事のあと僧院の中を見学させてもらった。
観光寺院ではない、普通の僧院のめずらしい風景だ。
建物と建物のあいだは屋根付きの回廊で結ばれていた。回廊の途中にところどころにベンチがあるのが、おしゃれに感じる。
日本のお寺の回廊はただ通り抜けるだけだったり、地方の禅院だと物置になっていたりするが、こうして回廊でくつろいでもいいじゃないか。
これはたぶん講堂ではないかと思う。「講堂」とは、お寺において講義をしたり経典の研究をしたりするお堂。
二階のバルコニーに屋根を増設していた。
これは僧房。「僧房」とは修行僧が寝泊まりする建物。
ここは室内も見せてもらえた。
ちなみに、僧房は女人禁制。いわば男子寮みたいなものである。
一階は土間で、物干しや倉庫のようになっていた。
二階へ上がる。
二階は床敷きで、片隅に修行僧がくつろいでいた。
午前の修行が終わって休憩時間なのだろうか。
昼寝している僧もいた。
まだ真新しい寝具セットがある。こうした寝具を持たされて出家するのか。
本棚には教本が置かれていた。
乱雑に積んである。みんな読んでないな、たぶん。
中はこんな感じだ。
太字はミャンマー語。手書きで注釈かルビのようなものが付けられている。教典はたぶんパーリ語だから、活字部分は音読用で、ミャンマー語で意味が加筆してあるのじゃないかな。
僧房の横にあった
確信はないのだが、これは位が上の僧侶専用の東司で、修行僧は使うことは許されていないのではないかという気がする。
と、言うのもその近くにもっと粗末なトイレがあったからだ。他の僧院でもこのようなランクの違うトイレが2種類あるのを見た。
ちなみにこのトイレは手前に向いてしゃがんで使う。ミャンマーのトイレは紙を使わず、ひしゃくで水をくんで左手でお尻を洗う方式だ。便器の中もひしゃくの水で流す。観光地ではさすがに扉ナシのトイレはないが、基本的にこのトイレに扉が付いただけだと思っておけばいい。とにかく紙を流せないので注意が必要だ。手で洗うのに抵抗がある場合は、拭いた紙をビニール袋に入れて持ち帰ってゴミとして捨てればいいだろう。
敷地の隅のほうに、パゴダがあった。
八箇所に小さなほこらがあるのは、八曜日の守り本尊だろうか。
まわりは塀で囲まれている。
ズェガビン山頂でもこのような小さなパゴダが塀で囲まれた中にあった。この塀には意味がありそうだ。修行用のパゴダだから、参拝者は外から拝むだけにしてね、という意味かもしれない。
境内で見かけたオオギヤシの木。
日本人になじみのあるココヤシとは別の種類だ。
実がなっていて、ハシゴがかけられていた。
僧院で食べるために採取するのだろう。細くて高い木なので登るのは怖そう。
オオギヤシの実はグレープフルーツくらいの大きさで、中にはぷりぷりした果肉が入っている。
味は、酸味と甘味がない種なしのライチと思えばよい。わずかに葛湯のような甘味があるが、とにかく薄味。冷やしてあれば美味しいかもしれない。
(2014年01月26日訪問)