2月は乾期なので、多くの田んぼには何も育っていなかった。
しかしここコウカッタン水浴場の廻りでは、鍾乳洞から湧き出る地下水のおかげで、青々とした稲が育っていた。
プールの水がどんどん田んぼに流れ出ている。
田植えの後の補植をしていると思われる農夫が見えた。
さてこの光景をみて、何か気付くことがあるだろうか?
そう、この水田は湿田なのである。
いや「湿田」というより「沼田」に近いものかもしれない。おじいさんは太ももまで水に浸かっているし、手伝いをしている少年は肩まで水に浸かってしまっている。
このように、水の深い水田を一般的に「湿田」という。湿田のうち特に水の深い田を「沼田」という。日本の水田は現在ほぼすべてが水の浅い「乾田」である。
「こんな風景は東南アジアだけだろ」と思うのは間違いだ。日本でもほんの50年ほど前まで、こうした田んぼがあって、腰や胸まで水に浸かりながら稲を育てていた地域があったのだ。
私は徳島に住んでいたころ、ずいぶん湿田の跡を見たし、実際に耕作した人の話も聞いてきた。湿田マニアなのである。
話で聞くだけだった湿田の耕作風景の実物がいま目の前にあるのだ。これはいいものを見せてもらった。
ミャンマーの話から外れてしまうのだが、最近、徳島県の島田島というところの田んぼの跡に大賀ハスを植えて町おこしをしようというニュースを見た。
島田島は徳島では比較的最後まで湿田が残った場所であり、見事な耕作放棄沼田が残っている。私基準では、市指定史跡に指定してほしいくらいの沼田跡なのだ。
もしあの沼田跡が蓮池になってしまうのだとしたら残念きわまりない。日本の稲作の歴史を知る上で貴重な物証をなくしてしまって何が町おこしなんだろう。
大賀ハスなんていううさん臭いものを植えるのではなく、腰まで沈む湿田で、田舟を使って稲を育ててみたら、(私基準で)ものすごいインパクトのある観光名所になると思うのだが。
(2014年02月02日訪問)