中原という字にある環濠屋敷。
主屋は大きな養蚕農家である。現在は切妻屋根だが、かつては総櫓を載せていたのではないかと想像される。
以前は、1,500坪ほどの土地を濠で囲んでいたという。現在は濠のほとんどは埋め立ててしまったが、濠があった当時、濠の面積だけで240坪もあったのだという。
屋敷の東側に、石垣積みの深い濠がある。環濠の跡だ。
ただし元々の環濠は薬研堀りになっていたそうだ。つまり土坡の斜面だったのだ。この石垣は濠を埋めたときに名残として池を残すために築いたもの。
中央部には土橋がある。
環濠屋敷の特徴といえるものだ。たとえ濠を埋めてしまっても、この家がかつて濠を巡らした格式だったことを表わすために残したのだろう。
土橋の北側はややワイルドな雰囲気で、往事の面影をしのぶことができる。環濠があったころは、この濠でウナギやナマズなどが採れた。
養蚕が盛んだったころには鯉を飼おうとしたこともあるが、増水したときに逃げ出してしまってうまくいかなかったそうだ。今はペットの鯉を一匹飼っているが、その鯉は増水で流されてもまた戻ってくるのだという。
敷地は、道路をはさんで南側にも50mほど続いている。
その南端にも濠が残っている。
ここのあたりはまだ昔のままのようだ。
訪れたときは干上がっていたが、泥の様子から稲作の季節には水が溜まっているのだろう。
西側の濠は埋め立てられているが、なんとなく痕跡のようなものがわかる。
北側には土を積み上げた塚があった。古墳かもしれない。
主屋の北側にも濠の跡があるらしいが、見せてもらえなかった。
(2014年12月27日訪問)