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県都前橋生糸の市

かつて生糸の産地として名をはせた前橋市。2010年を過ぎてから、その面影を探してみた。それはまるで渇いた雑巾を絞るような旅だった。

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県都(けんと)前橋生糸(いと)(まち)」というフレーズは、群馬県人ならば必ず聞いたことがあるはずだ。群馬県の郷土かるた『上毛(じょうもう)かるた』の、前橋市の読み札である。

上毛かるたが作られたのは、戦後まもなくのことで産業に関する札は現在の実情とは合わなくなってきている。絹産業に関する札は「繭と生糸は日本一」、「県都前橋生糸の市」、「桐生は日本の(はた)どころ」、「銘仙(めいせん)織り出す伊勢崎市」、「日本で最初の富岡製糸」の5枚がある。これらの札をみたとき、ひときわ実感しにくい札が前橋市である。なぜならば前橋市は糸の町と言いながら、製糸の博物館などがあるでもないし、製糸工場の遺構が軒を連ねているというわけでもない。

古くから住んでいる人は、前橋には製糸工場が沢山あったことをまだ記憶しているだろう。全盛期には前橋市内だけで500軒の製糸工場があったという。当時の前橋はまだ周辺町村を合併しておらず、面積もいまよりずっと狭かった時代だから、町のそこかしこで繭を煮る独特の匂いが立ち込めていたはずだ。しかしそうした製糸工場もひとつ消え、ふたつ消え、気がついてみたらほとんど見かけなくなってしまった。

「 いやまてよ?」「 "ない" と思うから見えないだけであって、よく探せばまだ製糸工場が残っているのではないか?」と思ったのは2010年ごろのことだった。それから何度か前橋を訪れては町を歩いてみた。

しかし、生糸の町の面影を求めて前橋をさまようのは、さながら渇いた雑巾を絞るような所業だった。結論から言えば、思い立つのが10年ほど遅かったのだ。それでも、石碑ひとつ、門柱一本でも残っていれば、それをもって生糸の町の証として記録に留めることにした。