ドンイン滝の水浴場から見えた白い仏塔を目指して、小道を進んでみた。
しばらく行くと、たくさんの白い仏塔が建ち並んでいるのが見えてくる。
想像していたより大規模なパゴダのようだ。
境内には人っこひとりおらず、静まり返っている。水浴場でたわむれているパアンっ子はこちらのほうへ来ることはないのだろう。
林の中にゾウの像が。
先に紹介したドゥエイ寺院にもゾウがあった。この場所はドゥエイ寺院のすぐ近くなのである。なにか関係があるのだろうか。
ちなみに、ミャンマーでは山岳地帯では木材の搬出にいまでもゾウを使うが、ズェガビン山周辺にはゾウはいない。
ヒョウタンのような不思議な形のパゴダ。
「あれ? どうもこの寺、普通の寺とはちょっと違うのでは・・・?」
一般的な日本人からすれば、ミャンマーの寺はどれも変に見えると思う。だがこの寺は、ミャンマーの寺を見慣れた感覚からしても、どこか、なにかが違うと感じさせるのである。
そのときはその違和感が何に起因するのかはわからなかったが、あとでよく考えてみると、その違和感は仏像があまり見当たらず、仏塔ばかりが建ち並んでいるからだと気付いた。
左写真は数少ない仏像。
すぐ横にはカレン族の旗が掲げられている。
これがカレン族の旗である。
隅に日章旗のような模様があり、その中央には黄色の戦鼓がある。赤、白、青はカレン族のモチーフカラーでもある。
仏像についてもう少し詳細に見てみよう。
まずこの仏像が身に付けている衣裳。これは僧衣ではない。そして顔の表情はどうも釈迦のようには見えない。青い光背のようなペイントは玉座だ。
しかしポーズは触地印なので、単なる王の肖像ではなく、仏陀を表わしているのだろう。
もしかして、仏陀が輪廻転生しこの王としてこの世に現れたというような像なのではないか。
この寺のシンボルともいえるのが放射状に並んだ仏塔群。この配列も一般的なミャンマーの寺とは違っている。
もちろんボウリングのピンのような形も独特である。
非常に興味深いパゴダだ。
パアン市から近くで、定番ではない、ちょっと珍しいものを見たいという観光客には持ってこいの寺だ。
山のほうに石段があり、小さなお堂が見えたので登ってみる。
お堂の近くにも像があるが、これは仏教ではなくてナッの神像であろう。
ヒンダーの上に立っている人物は僧衣ではなく民族衣裳を着ている。
山中にもボウリングのピン型仏塔があった。
このあたりにはペンキが剥げかけた仏塔が目立つ。
お堂の下には仏塔が格子状に並んでいる。
この寺の境内には、放射状の仏塔のエリアと、格子状の仏塔の、2箇所の仏塔林立エリアがあるのだ。
格子状の仏塔のさらに下には講堂があった。
講堂にはほとんど寺らしい意匠はなく、ただの物置か作業場かと思われるような建物である。
講堂の内部。
壁も床もない。
境内をうろちょろしていたら、近くの住民とおぼしき中年の男性がいたので声をかけてみた。寺の名前を確認するためである。
全身にさまざまな動物の入れ墨をしたその男性は、どうもミャンマー語がわからないらしく、こちらの言ってることが通じない。
家から子どもを呼んできて、ミャンマー語で書いたメモを見てもらってお寺の名前を確認した。そのときの発音を聞いた限りでは「タッタクィィ」と聞こえたのだが、後日いろいろ情報を総合してみると「プゥテキ」ではないかと思われる。
また、実はこの寺の名前「プゥテキパゴダ」は、後日訪れる「プゥテキ村」の名前と同じであり、その村にも独特のパゴダがあったことから、この2箇所おそらく関係があるのではないかと思われる。
そうした地方の歴史や民俗についてもっと突っ込んで知りたいところなのだが、ミャンマーではまだそうした研究も少なく、書物なども存在しないので調べるのは容易ではない。職場には通訳さんはいるのだが、郷土史や民俗学などの用語や概念については歯がゆいほどうまく翻訳できないし、現地の人への聞き取りは、場所、数字、年号がいくら問い詰めてもあいまいである。それ以前に、田舎へ行くと年配の人はミャンマー語をしゃべれないことも多いので、聞き取りが伝言ゲームみたいになってしまい情報がぼやけてしまうのである。
このプゥテキパゴダの謎については、いつかもっとじっくり取り組んでみたい気がする。
(2014年07月06日訪問)