この日は仕事でこの地方を訪れたのであって、寺へ来たのは僧院で昼食をとるためであった。毎日参拝客があるような寺には見えなかったので、おそらく、事前に連絡してあり、人数分の食事を準備してもらったのであろう。
タマゥ祭りの祭壇にびっくりしてずいぶん時間を使ってしまったが、これから食事となる。
僧院へ向かう途中にあった、小屋。
これまで見たことがないような、平べったい小屋で、柱が掘っ建て(礎石を置かず、地面に埋める造り)であった。
ぱっと見には、農家のヤギ小屋かとも思えたが、中に原始的なカマドがあり鍋で煮炊きをしている。入母屋のところから煙が出ているのだ。どうやら小屋組みの中に床があるようだ。納屋、兼、厨房なのかもしれない。
寺の管理人と思われるおじさんが挨拶に出てきてくれた。お坊さんではないのだな。
おじさんが着ている丈の長い上着は、カレン民族の男性の衣裳で、似たようなものはパアン市内でも売っている。
だが、これを日常着ているのはほとんど見かけない。
よく見るとお腹のあたりには細かい「刺し子」の手仕事がしてあって、市内で売っているものとは一味違っていた。やはりこの村で作られた衣裳なのだろう。
服飾について、このプゥテキ村は見るべきものが多い。
そして、さらに気になったのが、この子どもたちが着ている真っ白な衣裳。
タマゥ祭りの写真にも、村人たちがみな白い服を着て並んでいたが、この寺の境内には祭り以外の日にもこの白い服を着た人々がいるのだ。
よく「カレン民族の未婚女性は白いワンピースを着る」という記述を見かけるが、これはそれとは違うものだ。
お寺の寺男、寺女の衣裳なのではないだろうか。
このおじさんなどは、祭りのときの衣裳そのものを着て仕事をしていた。
さて、いよいよお寺の建物の中に上がらせてもらう。
建物は講堂と思われるが、細長い平面で左右の壁がない。
境内の入口にあった機織りの作業場に似ているし、これまで見た寺の中では、プゥテキパゴダの講堂とも似ている。
内部の様子。
奥に祭壇が見える。
床はノコ曳きのあとが残った荒々しい板だが、長年磨き上げられて黒光りしており、トゲがささりそうな感じではない。裸足で安心して歩き回れる。
ここで食事をご馳走になった。
これまで、ドライブインや町の食堂、あるいは、市内の僧院などでご馳走になった料理に比べると、一段と質素で、味付けは青唐辛子を主体とした激辛だった。
現地のスタッフはみんな美味しそうに食べるが、私が食べられるおかずはほとんどない。
ミャンマーカレー(ヒン)を少しよそってもらって、ご飯を一杯だけ食べるのがやっとであった。
口の中は、辛いというよりも、ただただ痛いだけという状態。あとはひたすら水を飲みつづけた。
水といっても、ミネラルウォーターはなく、例の素焼きの壺に入れてある水しかない。
常々「あれは外国人が飲んだらあかんやつ」と思ってきたが、もうそんな余裕はまったくない。何杯も水をお代わりしてしまった。これが、ミャンマー滞在唯一の壺水体験だった。
食事が終わってから、講堂内を見学した。
これは一番奥にあった仏陀。
手前の眷族の牛がナゾ。
これは王様が座る椅子だという。その「王様」というのがどうもよくわからないのだが、占い師だか預言者だかのお告げによって、ある男性がこの村の王様になったのだという。現在、王様は村の外に住んでいて、祭りのときなどに村を訪れてこの玉座に座るというのだ。
未確認ではあるが、王様が現在住んでいるのは、パアン市郊外のプゥテキパゴダ近辺というような話も出た。
これは王様の写真を飾った玉座。
王様不在の期間は、ここにお供えなどをしている。
お供えはチマキのようなもの。
王様のご尊顔。フォトショップでいろいろと加工されている。
ミャンマーでは履歴書の写真すら、フォトショップで服を替えたりするのが普通なので、驚くには値しないが。
そういえば、この村の家に上がらせてもらったとき、この人の写真が仏壇に飾ってあったな。
通訳の人が「王様」と翻訳している言葉、もしかして千年王国運動における「未来王」のことなんじゃなかろうか。
千年王国運動とは、釈迦の入滅後の時代にふたたび地上に仏陀が現れることを願う信仰で、そこで現れる仏陀を「未来仏」という。特にその統治により千年の王国がもたらされるという意味で「未来王」とも呼ぶ。
写真の衣裳と同じものを見せてもらった。
ドラゴンの姿を直接描いたものと、ドラゴンを象形化した連続するひし形を主体としたデザインである。
とても興味深いものなのだが、いかんせん、化学染料の使いすぎだ。仏像やお寺の再建でやたら近代的な素材を使ってしまうように、ミャンマーでは鮮やかな化学染料のほうが、天然染料よりもランクが上であるとみなされているのだ。
もしこの図案が自然染料、いわゆる、草木染めのような手法で作られていたら「おぉーっ」となるだろうな。
いや、まて。
実はいまのミャンマーで外国人の価値観に染まっていない無菌状態のデザインってこれなのか? このハデハデの布こそが、見るべきなものなのか?
これを「売ってくれ」と交渉しなかったのはとんでもないポカだったのではないか。
堂内には他に祭りで使う楽器などがしまわれていた。
これももし楽器に詳しい人が見たら、なにか見るべきものがあるのかもしれない。
この寺は、僧院というより、祭りの際の王様の御座所のような場所なのだった。その王様の存在は、この村ではとても重要なものであり、富も権力もおそらく絶大なものなのである。タマゥの祭りにまつわるさまざまな不思議も、この王様とは無関係ではないはずだ。
しかし、それらの事象をすべて理解するにはあまりにも基礎知識が足らないし、言葉の壁も大きい。
まずは、パアン郊外のドンイン村のパゴダと、この村の関係性あたりから少しずつひも解いてゆく必要がありそうだ。
(2014年07月14日訪問)