エーウィ日本人墓地

ミャンマーで亡くなった日本人を祀る共同墓地。

(ミャンマーヤンゴン管区ヤンゴン)

ヤンゴンへ出張。ひと通りの仕事が終わり時間があったので前回のヤンゴン訪問のとき雨で行けなかった寺を巡ることにする。

最初に、ミンガラドン郡区にある日本人墓地へ向かうことにした。タクシーで向かおうとしたが運転手には墓地の場所がわからない。知ってしまえばどうということはない場所なのだが、ミャンマーという国では何かを探すときにほとんどが口コミになる。現時点ではGoogleMapsにも細かい情報はないし、書店に行ってもドライブマップなど存在しない。

比較的頼りになるのが現地の日本人向けフリーペーパーや『地球の歩き方』の市街地図なのだが、困ったことに日本人墓地の場所はいずれの地図でも欄外に切れていて載っていないのだ。同じエリアには、アウンミンガラーバスターミナルという旅行者にとってかなり重要な場所があるのに、そこも見切れているのは不便だ。せめてバスターミナルまでは収録してほしい。

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仕方ないので、近くに行ってから通行人に訊ねながら墓地を探すことにした。運転手があたりをつけた場所へと向かう。

こんなところに墓地があるの? というような、田舎のマーケットみたいな道を進む。大型車が来ると対面通行できない。

それでも道行く人に訊ねると、確かにこの道でいいとのこと。

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しばらくすると道が広くなり、ヤンゴン市の斎場へと着いた。

かなり大規模な斎場だ。

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斎場の門前町的な、駄菓子屋や軽食屋も付属している。

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斎場を過ぎて道を北へ進む。

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日本人墓地は、斎場前の道に面していた。

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霊園に入ってすぐ右側には小さな吹き放ちのお堂。

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中には仏陀が祀られている。

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霊園に入って左側には信徒休憩所。管理事務所にもなっている模様。

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霊園内は植木もきれいに育てられ、ゴミひとつない清潔な場所だった。

管理人が常に手入れをしているのだろう。

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突き当りには「ビルマ平和記念碑」という建物がある。

案内板によれば、元々はタモエという場所に「チャンドゥ日本人墓地」という名前であったのが、ヤンゴン市からの要請により1998年に現在の住所オカラッパに移転し「エーウィ日本人墓地」になったという。

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礼拝堂の中の献花台。

管理人が毎日花を手向けてくれているようだ。少し多めに1,000円の心付けを渡した。

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日本軍はビルマ戦線で、19万人の戦死者を出した。その数は従軍した人数の6割にものぼる。

墓石は合同で建てたもの、個人で建てたものいろいろがある。これは岡山県の慰霊碑。県の墓石はすべての都道府県があるわけではない。私がいま住んでいる群馬県でも、近所でビルマで身内を亡くしたという知り合いがいるが、群馬県の慰霊碑は見つからなかった。

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「私はミャンマーの繁栄と平和を祈ります」と書かれた墓石。

日本がビルマで行った戦争は、おそらくアジアをヨーロッパから解放するという目的をある程度達成した。その目的が正しかったかのどうかは簡単には結論できないが、当時の世界情勢を考慮すれば完全に間違いだとは言えないと思う。

まして従軍した一般の兵卒の多くは、ビルマの解放と繁栄という純粋な理想を持って戦ったのだろう。

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しかし軍隊という仕組みの中に本質として内在する狂気によって蛮行の範疇になる行為も多く行われたであろうし、さらにはインパール作戦というデタラメによって、その狂気は剥き出しになってビルマ人に辛苦をおよぼしてしまったであろうことは無視できない。

しかしそれでもなお、この墓のようにミャンマー人の片言の日本語で墓が建てられていることを目の当たりにすると戦争とは単純ではないなと思ってしまう。

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個人が建てた新しい墓石。日本人がミャンマーに分骨したのか、あるいは、戦後ミャンマーにとどまってここで亡くなったのか。

ミャンマーは日本からあまりに遠い。それは飛行機で8時間という物理的距離だけでなく、熱帯の気候や風土の違い、今日でも日本の昭和初期のような暮らしが続いているという時代の差のせいで、実際の距離以上に隔たりを感じる場所なのだ。そこに多くの戦友を残しておけないという気持ちは痛いほどわかる。

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中村一雄の墓。『ビルマの竪琴』という童話の主人公、水島上等兵のモデルになったといわれる、実在の人物だ。2008年に日本で亡くなっている。

中村は群馬県から出兵した僧侶で、従軍しながら各地で無くなった兵の慰霊をした。その姿を知っている人々が『ビルマの竪琴』を読んで、あれは中村がモデルに違いないと言うようになったという。中村が住職を務めた群馬県の雲昌寺はいずれ紹介したいと思っている。

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敷地の外周には、個人の墓と思われる小さな墓石が並んでいる。

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霊園内の樹に繭が付いているのを見かけた。

大型の繭で、糸でも作れるのではないかという感じ。

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密集して付いているところは、ちょっとグロい。

あとになって地図を見てみたら、日本人墓地はアウンミンガラーバスターミナルのすぐ東隣にあることたわかった。タクシーで行く場合は、アウンミンガラーバスターミナルの入口の道を東に進み、火葬場を目指してもらう道順がよいだろう。

道の混雑具合にもよるがヤンゴン市内からは1時間、ヤンゴン空港からは片道30分もあれば行けると思う。

(2014年11月21日訪問)

ミャンマー動物紀行 資料編

単行本 – 2002/2/1
大西 信吾 (著)

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