カバーエーパゴダの裏門から出て北のほうを見ると、岩山のようなものが見える。
マハパサナグハ洞窟、またの名を、聖洞窟。
カバーエーパゴタと同時に建設された寺、というか、イベント会場である。この場所で、1954~1956年にかけて第六
「
釈迦入滅3ヶ月後、インドの七葉窟という洞窟で第一結集が行われた。それが最初の結集である。この聖洞窟はその七葉窟の外観をイメージして作られている。
入口には寄進所があって、拝観料を取っていた。
その左右には鐘撞き堂があるが、左側はミャンマースタイル、右側は日本スタイルであった。
第六結集に集まったのは、主に上座部仏教を信仰する国であるミャンマー、タイ、ラオス、カンボジア、ベトナム、スリランカ、インド、ネパールの2,500人の僧侶で、日本からも代表者が参加したようだ。
日本や中国、台湾、朝鮮半島で信仰される大乗仏教は、釈迦入滅100年後(紀元前4世紀ごろ)に行われた第二結集の際に、意見が合わず分裂した派閥の末裔である。
この鐘は日本代表団が、大乗仏教サイドの存在感を示すために寄進したものなのかも知れない。
外観からはこれが建物なのか、山なのかよくわからない。
実はここへは15年前に一度来ているのだが、どうも前回の記憶がはっきりしない。
建物への入口はちょっとわくわくする。
中へ入ってみると底は巨大なスタジアムみたいな空間だった。何となく記憶がよみがえってきたような・・・。
洞窟というと狭くて暗くて湿っているような場所をイメージするが、ここは天窓から差し込む光で明るく、まったく洞窟という雰囲気ではない。
しかも入れるのはこのスタジアムが見える入口のところまでで、そこに柵がありそれ以上中には入れなかった。期待してたのと違い、ちょっとがっかりである。
会場はアリーナ席とスタンド席に分かれている。
結集の際の役割が違っていたのだろうか。
スタンド席は、アリーナ席の僧侶の監視というか証人席なのかもしれない。
前回来たときには、スタンド席に入れたかなあ・・・そんな気もするが、どうも思い出せない。
当時の自分にとっても、それだけがっかりなスポットだったのだろう。
これはスタジアムの外廊下。
入ってみたい気もするが、警備の人が居て奥には行けない。
これはスタンド席への入口の階段。
机が置かれ封鎖されていた。
入場料はたしか500円くらい取られており、それで扉のところまでしか入れないというのは、ケチすぎやしないか。
これで、ミャンマーの第3回訪問の記録はおしまいである。今回は、カレン州だけでなく、マンダレー管区のピンウールィン(メイミョー)とアマラプラも紹介できた。
また、ヤンゴン市内については2000年に珍寺大道場の小嶋独観さんと見たパゴダの再チェックが一通り終わった。15年の歳月はずいぶんと記憶を薄れさせ、再訪といえどもまるで初めて見る場所のように感じられた。当時自分はそんなにぼんやりしていたのだろうか。いや、そうではない。あのときはミャンマーの寺のあまりの不思議情報量に圧倒され、頭が飽和してしまっていたのだろう。
いまではミャンマーの寺のかなりの部分が当り前に思え、日本のお寺を見るのと同じような感度で観察できるようになった。これからはますますスキマな感じのミャンマーを紹介できるだろう。
(2014年12月05日訪問)