ミャンマーから帰国の日。
この日は午前中までマンダレーで仕事があり、昼過ぎに飛行機でヤンゴンへ。時刻は午後3時ごろだったが日本への帰国便が飛ぶのは深夜である。まだ8時間ちかくヤンゴンで過ごさなければならない。
なんと言ってもこの日の通訳さんは仏教の知識がある有能なひと。仕事はすべて終わったとはいえ、契約は終日なので少しの時間寺巡りに付き合ってもらおう。
これまでにヤンゴンで私が見た寺をすべて挙げ、それ以外の場所へ案内してもらうことにした。
最初に向かったのは、ヤンゴン市西部、チッミンダイラン駅付近の寺。
この寺はヤンゴン市内の大仏9所巡りの札所のひとつなのだという。
山門の前には、浮かれ寺男こと、ポートゥロ。
これまでで見たなかでは最大かもしれない。
山門から本堂までは回廊で接続しているタイプなので、最初から履物を脱いでいく。
本堂の入口に、このお寺のいわれを書いた碑があった。
それによると1905年にある修行者が夢を見た。その夢の中でカエルとヘビが闘争をしていた。カエルは劣勢で、丘の上に追いつめられていた。丘の上でカエルは最後の力で毒の息を吐きかけ、ヘビと相打ちになったのだった。修行者はその夢の中に出てきたカエルとヘビを哀れに思い、争うもの同士でも友好的になれる場所を作らなければと考えた。
修行者は夢の中に出てきた丘を探し出し、そこに寺を建てた。それがこの寺の始まりであると。
本堂の入口には、ヘビとカエルの像があった。
こちらがカエル。
ヘビよりちょっと大きく作られているので、強そう。
この寺のメインは大仏である。日本だったら最大級の大きさになるが、ミャンマーでは大仏に目がなれてきてしまっているため「うーん、普通かな」というくらいにしか感じなくなっている。
大仏殿の外観。
やっぱり寺というより体育館っぽい。
こういう建物を見かけたら、大仏殿と疑わなければならないのだな。
大仏の周りにも説話ジオラマなどいろいろな展示物があるので、そちらのほうがむしろ楽しい。
八曜日の守り本尊のパゴダがあった。
眷族の動物達が色鮮やか、かつ、ユーモラスな造形なので全部紹介してみよう。
まずは、日曜日生まれの人の守り神、ガルーダ。ミャンマー語では、ガロウン。守護する方角は北西。
月曜日生まれの人の守り神、トラ。
ミャンマー語では、チャー。
方角は東。
火曜日生まれの人の守り神、ライオン。
ミャンマー語では、チンデェ。
方角は南東。
水曜日の午前中に生まれた人の守り神、牙のあるゾウ。
ミャンマー語では、スィン。
方角は南。
水曜日の午後生まれの人の守り神、牙のないゾウ。
ミャンマー語では、ハィンスィン。
方角は北西。
私は、水曜日の21時ごろ生まれたので、これが私の守り神になる。
木曜日生まれの人の守り神、ネズミ。
方角は西。
ミャンマー語では、チュエッ。
金曜日生まれの人の守り神、モルモット。
ミャンマー語では、プー。
方角は北。
インドシナ半島の他の国ではモグラが割り当てられているが、ミャンマーではモグラはあまりよいイメージがないため、モルモットに変更されたとか。
土曜日生まれの人の守り神、ナーガ。
ミャンマー語では、ナガー。
方角は南西。
お賽銭箱群。
賽銭箱には、その賽銭箱自体を寄付した人の名前が書かれている。
また、お賽銭の用途が書いてある場合もあるので、自分が使ってほしい用途の箱にお金を入れればいいという合理的なもの。
大仏の側面には沢山の小さな仏たち。
釈迦以前に仏陀になったとされる過去仏の人たちか。
大仏のおしりのほうにもずっと小さな仏たちが並ぶ。
説話ジオラマがあったが、あまり有名な話ではなかったみたいで、通訳さんにも何の物語かわからなかった。
ひときわ華麗な仏壇。
大仏殿の西側には、檻のような場所があった。
小鳥が入れないようにしているわけでもなく、なんだかよくわからない建物だ。
内部はどうやら聖人紹介所、兼、信徒休憩所のようだ。
大仏殿の東側は、占い所、茶店、土産物屋。
小さなミャンマーダルマを製造販売しているおばちゃんがいた。
このミニダルマ、お土産にいいんだけど、なかなか売ってないんだよなあ。
タコンタイは金色のタコン(筒みたいなもの)がたくさん下がっていた。
タコンタイのそばにあった謎の築山。
(2015年05月06日訪問)