次なる水車を求め、岡山市の東部へ移動。
その途中、よさげな寺があったので立ち寄ることにした。事前に情報を調べるわけではない。ドライブマップを見ていて、寺の立地がよさそうだったから立ち寄ることにした。
寺は標高100mほどの小山の中腹にある。
寺の登山路入口には、伽藍配置図があった。
徒歩で登る場合は正面の小道を進み、石段を登って境内へと至る。
だが、伽藍配置図によると山上に駐車場があるようなので時間の節約のため車で登らせてもらう。
駐車場から境内へは、庫裏の通用門のようなところから入ることになる。
玄関、棟門の中門、中門の中には瓦葺きの方丈、その奥の民家風の建物が庫裏だろう。
玄関の左側には客殿とされる建物。
そこからさらに進んでいくと石段の途中に出る。
さっき登山口から見えていた石段を上り詰めた場所である。
ここは石段の踊り場的な場所で、新しい地蔵堂があった。
本堂の方へはゆるい石段が続く。
途中にある猿塚と称するもの。
案内板が日焼けして読めなかったのだが、どうもこのあたりに生息していた大ザルが死んだのを祀ったものらしい。
祠もあり、内部には石像が鎮座していた。これがサルなのだろうか。
本堂はところどころ新しい部材で補修されているが、江戸初期くらいまでいくのではないかという感じの古風な建築。
本瓦葺きで、写真はアオリなので解りにくいのだが、実見すると屋根のバランスなども美しい。こういう屋根の美しさはどう写真で伝えたらいいのだろうか。人間の眼はこうした狭い場所で引きが足らなくても、左右を見渡して建物の全体の総体を認識できるが、カメラの広角レンズではパースが邪魔して形が伝わらない。ドローンでも飛ばして望遠で撮影すればいいのだろうが。
本堂と客殿は渡り廊下でつながっている。
本堂側から客殿方向を見たところ。。
本堂は間口三間、奥行き三間半で、手前一間分が吹き放ちになった密教形式。
地蔵格子から中の須弥壇が見える。
四天柱の木鼻の感じを見てもやっぱり古そう。
本堂の横にはもうひとつ入母屋の堂があった。
伽藍配置図によれば、観音堂。
境内から南を見渡したところ。
いかにも山陽地方の森という感じだ。
駐車場のほうにあった土俵。
天狗が相撲でも取るのか?
奥には摩利支天堂がある。
(2003年04月28日訪問)