新見市内のビジネス旅館で目を覚ました。旅は6日目で少し疲れが溜まってきていたのか、二度寝してしまい、旅館を出たのは9時半ごろだった。
きょうは阿哲台の残りの鍾乳洞を見て回るつもりだが、せっかく初めて訪れる新見市なのでいくつか寺も見てみようと思う。
最初に訪れたのは
伝説によれば、弘法大師が巡錫でこの地を訪れたとき、唐の長安で修行した青龍寺と景観が似ていたことからここに寺を建てたとされる。青龍寺は長安(現西安)にある著名な寺だが、山寺ではなく市街地にある寺なので、伝説の信憑性はかなり薄れてしまう。
本堂の裏まで自動車で上れる道ができているので、境内には裏から入るようになる。
まずあるのは本堂。
本堂の基礎の一部が井戸になっていた。不思議な造りだ。
これは元々井戸があった場所にあとから本堂を建てたため、こうなったのではないか。
本堂の左側に玄関、その左には客殿。
その奥に(見えないが)庫裏がある。
玄関の前には水盤舎と鐘堂がある。
玄関の前には石段が続いていて、これは元々の参道だったのだろう。あまり荒れてなくて、いまでも歩いて通れそうだ。
本堂のある一角の全景。
本堂から少し斜面を登ったところに観音堂がある。
昨日見た三尾寺の本堂を思い起こさせる。柱などがかなり虫食いを受けているのも似ている。聞くところではクリの木を使ったからではないかということ。
ただし全体的にはキレイな建物だ。最近修復されたのだろう。茅葺きの屋根は葺き替えてから5~6年しかたっていない。
江戸初期の建物で、当時古式にならって建てたものだと案内板に書かれていた。
気になるのは「こういう形式は古い」とか「古いものはいいものだから古式に従って新築する」というような建築史の考え方が江戸初期にあったのか、ということだ。
三尾寺の本堂と同様に、木割りが太く、外周の方柱の面取が大きい。全体的に室町時代の特徴を持っている。
きわめつけは柱の上で桁を受けている舟肘木というパーツ。確かに面取のある舟肘木は古い和様の特徴のひとつだが、これをもって古式にのっとったと言えるのかどうかはわからない。単に簡素な建築にも用いられるからである。
境内にはほかに聖徳太子堂、、、
石造五重塔があった。
(2003年05月02日訪問)