高梁川西岸の急傾斜の谷には、斜面にへばりつくように小さな字がいくつかある。大字は「近似」になるが、小字は「下組」「陰地」「奥」というように、なんともストレートな名前がついている。
山王宮は小字「奥」にある。名前の通り一番山奥にある集落で、高梁川からの標高差は150mはあるだろう。
鳥居をくぐると短い石段を経て、吹き放ちの拝殿がある。
補強のための筋交いが、身も蓋もなく残念な感じだ。
日本の木造建築は垂直と水平の材で固めるラーメン構造的な発想だが、横方向のチカラにどうしても弱い。歴史的に、トラス構造のような三角形を意匠として磨き上げることができなかったため、筋交いにしろ火打梁にしろ、安定した三角形=見栄えの悪い要素になってしまっている。
拝殿は独立基礎。
向拝柱や虹梁などに神道的/仏教的な要素がまったくない家大工的な仕事だ。
拝殿の後ろには、相の間を経て、本殿が接続している。
本殿には基礎があるが、全体的にこれもまた潔いほどの簡素な作り。
せめてオーソドックスに切妻平入りの設計にすればあまり無理せずに神社っぽくなったと思うが、妻入りにしたためよけいに難易度が上がってしまった。相の間と本殿のあいだの雨じまいを気にしすぎてしまったか。
これまで紹介してきた神社建築の中でもかなり特異な本殿と言えるだろう。
(2003年05月03日訪問)