トンェイン町はサルウィン川の自然堤防の上にある南北に約3kmほどの細長い町である。
家々は南北の直線道路に沿って整然と並んでいる。自然堤防に自然発生した農村ではなく、あきらかに都市計画的にデザインされたと感じられる町である。
河岸のカーブというか、自然堤防の三日月状の上に直線的な町を作ったため、町の中にクランク状の屈曲部ができている。
北のはずれには最初のクランク状の屈曲があり、その突き当たりの部分には大きな僧院がある。
寺の名前は確認できなかったが、トンェイン町で最大の僧院でもあるのでトンェイン僧院としておく。
山門の上にはクジャクや天部の神が飾られ、両側には獅子の像もあることから、参詣してもよさそうな僧院だ。
さっそく中に入ってみる。
奥に見える仏殿と思われる堂に向かって回廊がのびている。特に裸足が厳しいような地形はなさそうなので、山門のところでサンダルを脱いで入る。
ミャンマーの寺は基本的に境内は裸足で参詣しなければならないが、田舎の僧院などではサンダル履きでも大丈夫なケースもある。それは慣れてきたら判断できるようになるが、わからなければとにかく裸足になっておけばいいだろう。
回廊の天井には、野蛮人がミャンマー人を襲っているような感じの物語が描かれている。
これらの野蛮人というのは、仏教を信仰せず、邪教を信じている人々ってことになるのだろう。
その野蛮人がおおむね肌の黒い人々として描写されているのが気になるところ・・・
回廊の途中に分岐があり、その先にもお堂があった。
お堂の中は寝釈迦。
山門から回廊をまっすぐ進んだ先には層塔を載せた仏殿と思われる建物がある。この建物の屋根に目玉のような模様がある。よくよく見ると目玉ではなく、アショーカチャクラと呼ばれる転法輪の文様なのだが、どうみても目玉を意識したデザインである。
仏殿の中の様子。
仏殿の内部は回廊のある二重構造で、中央の部屋に過去七仏、周囲の回廊の仏陀は合わせて過去二十八仏になっているようだ。
大きな呼び方としては仏殿でよさそうだが、より細かくいえば過去二十八仏堂である。
過去二十八仏とは、釈迦より以前に仏陀になった修行者が27人いたという考えによるもの。ミャンマーでは多く見られる。
日本の仏教ではどちらかというと過去七仏といわれることが一般的だが、ミャンマーにも過去七仏という括りはあるようだ。仏殿に複数の仏陀が祀られるときの人数を数えてみると、3、7、28という単位になっていることが多い。
仏殿の左隣にも大きな堂がある。
これは覆屋で中には仏塔が収められてた。
内部の仏塔。
続いて、主回廊から右に分岐した先を見てみる。その先には二階建ての建物がある。
入口は階段になっていて、二階に直接上がるようになっている。このような建物を、私は勝手にモン様式の僧房と呼んでいる。本当はどうなのかわからない。経験的に言っているだけだ。
そもそもミャンマーの仏教建築を、時代別地域別にきちんと体系化した研究があるのかどうかすらわからいのだから。
階段を上がってみよう。
この階段の天井の収め方も、私はモン様式の特徴だと思っている。
内部は柱列のつづく広い空間になっていた。
奥には仏陀が祀られたガラス張りの内陣がある。
奥が内陣、手前に広い空間という構成は、日本的な感覚でいえば「本堂」である。
内陣の様子。
ガラス張りになっていて中に入ることはできなかった。
片隅にあった玉座。
僧侶が説法をするときに使うのだろう。後ろのポスターの僧侶がこのイスの主かもしれない。
(2016年12月17日訪問)