トンェイン町への道は続く。
ゲートがあった。ここからが町なのだろう。
ゲートの下には茶堂がある。
周囲は田んぼで人家はまったくないから、このような場所にバス停や待合所は必要ない。茶堂には、村の結界のような意味合いがあるのではないか。
町の北のはずれには大きな三差路があり、分離帯にはアーチのオブジェがあった。
オブジェのてっぺんにオシドリ。
オシドリはモン州で多く見かけるモチーフだ。ここカレン州のシンボルは水牛の角と銅鼓。
この三差路には茶堂はなく、ガソリンスタンドが2軒あるだけ。
お姉さんがいじっている黄色い液体がレギュラーガソリンである。飲み終わったミネラルウォーターのペットボトルに入れて保管してある。1ℓで1,000チャット(80円程度)で、こうしたガソリン販売所がいたるところにあるのでガス欠の心配がなくとても便利だ。
この三差路から北側の道沿いは、ごみ捨て場になっていた。部分的には火をつけて燃やした跡もある。
このあたりにはインフラとしてのゴミ回収などないから、ゴミは自宅で燃やすか、川に投げ込むか、こうして道端に投げ捨てるかしかない。あえていえば自宅で燃やすことが適正なのだろうが、人家が密集しているところではそれもできない家があるのだろう。
日本にも以前こういう風景はあったし、ミャンマー人もこうした風景は問題視しているから、遠からず無くなるだろうとは思う。
このごみ捨て場の道の反対側には、火葬場と墓地がある。先にごみ捨て場を紹介したのは、この土地が村のはずれの悪い土地なのではないかと思われるからだ。
現代の日本でもゴミの最終処分場や火葬場や共同墓地は自治体のはずれに建設される。そうした考えかたはミャンマー人にも共通しているのだ。
墓地はこれまでに見たなかでは最大の規模だ。
火葬場が併設されているとはいえ、私の推測ではこれらは土葬の墓石。
火葬ならここまでの大きな墓標は必要ないだろうから。
だとすれば、ここにはもともと土葬の墓地だけがあり、その後、火葬場が建設されたのではないかと思う。
そして土葬する場所は自分の家の庭などではなく、村外れのゴミをすてるようのな意識が働く土地だったのだ。
壷形の墓標や、小さなプレートのみがある墓標もある。こうした小さな墓標は、遺灰が入っているか、あるいは遺灰もない単なる記念碑的なものなのかもしれない。
だがこれほど密集して墓石が建てられていると、奥のほうへ近づくことはできず放置状態となる。
しかもどこからか飛んできたのか、ゴミまみれになっているのに掃除しているふうでもないのだ。
続いて、斎場を見ていこう。
引導場と火葬場が併設されている。
内部は天井扇もついていて、かなり豪華な造りだ。
引導場から火葬場へはL字型に建設されていた。
こうした配置に意味があるのかどうかは、まだよくわからない。死者との別れのさいに、直接火葬炉に視線が行って気が散るというようなことがない効果がありそうではある。
火葬炉は2つある。
となり村のパヤーナズゥの火葬場にも炉が2つあったが建物は別々だった。
それにしても火葬場多いな。となり村の火葬場からここまで1kmほどしか離れていない。こんなにたくさんの火葬場が必要なのだろうか・・・
そういえば滞在しているパアン市内では火葬場を見たことがない。人口密度でいえばこのあたりの村よりも圧倒的に多いので、火葬場も多そうなものだが。
(2016年12月17日訪問)