AH1号線をタトンからパアン方向に走ると、パアン市に入る手前のミャインカレイ村のあたりで右手に大きなセメント工場が見える。この方向には2つの山脈がある。
ひとつはセメント工場と採石場のある、長さ3kmほどの小さな山脈だ。いましきりに石灰石を採っているので遠い将来なくなってしまうかもしれない。これをミャインカレイ山脈と呼ぼうと思う。
もうひとつはピーメドーヤ僧院を北端、コーゴン洞窟を南端とする長さ10kmほど続く断続的な山脈である。これをヤテピャン山脈と呼ぼうと思う。
下写真ではふたつの山脈は重なって見えているが、緑色がやや濃く見えるのがミャインカレイ山脈、その奥に黒っぽいシルエットで見えるのがヤテピャン山脈である。そのさらに奥に薄く霞んで見えるのはモン州のタトン山脈だ。
きょうはヤテピャン山脈の裏側をひと回りするつもりなのだ。ヤテピャン山脈の裏側に何があるか? はっきり言って何もない。ただ、行ったことがない村に行ってみようというだけである。
左回りに山脈を巻くために、まずAH1号線をタトン方向へと走る。
ピーメドーヤ僧院へ向かう枝道の入口のゲート。ここからヤテピャン山脈の裏へ回り込むことができるのだ。山脈を巻いてAH1号線に戻ってくるには15~20kmほどの道のりになるだろう。
道路はすぐに未舗装になったが、路盤がしっかりしていて比較的走りやすい部類。
スピードは出せないが、小さな部落をいくつも過ぎていく気持ちよいツーリングである。
路面が真っ赤なラテライトに変わった。湿地帯に客土してかさ上げした路盤だ。人家もまばらになってきた。
このあたりから西にはもう村はない。モン州との州境のドンタミ川まで、湿地や荒れ地が続いているだけだ。
「地の果てまで来た感」がすごい。
私はこういう世界のヘリみたいな場所がたまらなく好きだ。
左写真はヤテピャン山脈の北半分の山体だ。その裏側である。高さ100mはあろうかという石灰岩の崖がそびえる絶景だが、(衛星写真に写らないような)崖下寺院やパゴダは見当たらない。
ラテライトの真っ赤な道が続く先の正面に見えるのはヤテピャン山脈の南半分の山体だ。
ふたつの山体のあいだにはわずかな谷間があり通り抜けることができる。この道はそこへと続いている。
ヤテピャン山脈を南北に隔てる谷間にさしかかった。竹林の中にぽつぽつと人家がある。
ナピョーロー村という場所らしい。ナピョーローとはバナナという意味。
南ヤテピャン山脈の北端に小さなパゴダを発見!
小さいながらも山の上に建てられていて面白そう。
さっそく登ってみよう!
パゴダへ向かう道の途中には茶堂があった。
茶堂の中には子どもたちが集まって遊んでいた。きょうは休日で学校が休みだから、年長の子が小さな子どもの子守をしながら遊ばせているのだろう。
おやつはサトウキビの丸かじり。
ミャンマーでサトウキビの丸かじりは何度か体験しているが、あまりおいしい食べ方とは思えない。砂糖をしみ込ませたトウモロコシの芯を食べるのを想像してほしい。
茶堂からは歩いてパゴダの入口に到着。
登り口からわりときれいな階段になっているので、ここで履物を脱いでいくことにする。
無人のパゴダというわけではなく僧房がある。お坊さんがいるのだ。
岩の上から子どもたちが覗いている。
お寺が村の子どもたちの休日の遊び場になっているのだろう。
石段を登ると金色のパゴダがある。
メインのパゴダと4つの小パゴタからなる5連パゴダ。
子どもたちが珍しそうにあつまってきた。それはそうだろう。どう考えても外国人観光客が来るような村じゃないのだ。
この子たちは茶堂にいた子どもたちとは別の子たちだ。
ここからもう一段、高い岩に登れる階段があり、その上にも建物が見える。
さっそく登ってみる。
山頂にあったのは四畳半くらいの小さなお堂。
内部は瞑想所というか、お昼寝所?
修行僧が出てきた!
小さな修行僧、すごく澄んだ目をしてる。
一緒に記念撮影。この子たちも下にいた子とは別グループ。あまり大きな村には見えなかったが子ども多いなあ。
プルメリアの樹下に仏像があった。素朴なコンクリ仏だが、見ていると心が落ち着く。プルメリアの花が満開になったところを見てみたい。
小山から、南ヤテピャン山脈を見たところ。
この山脈にあるヤテピャン洞窟寺の鍾乳洞は貫通型で、ここから見えている西斜面は貫通した出口側になる。
ナピョーロー村はこの林の中にある。
小山から、北ヤテピャン山脈を見たところ。
ここからは見えないが、山麓に小さな白いパゴダがあるので、次はあそこへ向かおう。
(2017年01月08日訪問)