高い石垣の上に建つ寺が見えた。
帯石観音、普門寺だ。
まるで城塞のような風情だが、実際、幕末の第二次長州征伐戦争のときに陣地として使われたという。そのため、伽藍はその戦乱で焼失している。
駐車場からは石段で境内へ上がる。
山の中によくもこんな石積みを作ったものだな。
石段を登り切ったところには大師堂があった。
その近くには閼伽水。
普門寺には三水と呼ばれる3つの水源があるというが、そのうちひとつは庫裏の常用水というのがちょっとこじつけっぽい。
先ほど石垣の上に見えていたのは本堂だった。
RC造でシャープな造形だ。
本堂前からは安芸灘が見渡せる。
本堂の左手には庫裏。
本堂の右奥のほうには毘沙門堂がある。
境内にはいたるところに大きな花崗岩がある。
帯石観音の「帯石」とはこうした岩の表面にある、帯を巻いたような模様のことだ。
安産の御利益があるという。
毘沙門堂は岩と岩に挟まれるように建てられている。
裏側を回れるようになっていたので、「胎内くぐり!?」と色めき立ったが、信仰装置は見当たらなかった。
横の岩に彫られた名号。
この名号には伝説がある。弘法大師がこの寺を訪れたとき、岩に「南無阿弥陀仏」の文字を墨書したところ、金色の光を放ち、夜瀬戸内海を行く船の目印になった。あるとき石工がこの岩を見て、墨書のままではいずれ消えてしまうと考え、文字をなぞって岩に文字を彫ったところ、光は消えてしまったという。
う~ん、弘法大師が名号っていうの、ちょっと変じゃないか? 法然や親鸞じゃダメなのか?
その先には鎮守社の稲荷社があった。
擬宝珠や木鼻の造りがやけにシンプル。
宮大工の仕事ではないのかもしれない。
(2003年09月03日訪問)