龍蔵寺へ向かう道の途中にあった寺、
案内板によれば、
江戸初期に4代の
山門は袖塀付きの四脚門なのだが、部分的にかなり古いく見える部材が使われている。
間斗束の上にある実肘木や、虹梁の上にある板蟇股などである。
木鼻もかなり古そう。全体のシルエットや
とはいえ、意匠的な面では宮大工の仕事のやりようでどうとでも古い形状に再現できる。なのでより頼りになるのが材の風化具合だ。桁と板蟇股と木鼻の3つの部材については年輪が浮き出るくらいに風化している。その風化度合と意匠から、少なくとも江戸初期くらい行くのではないかという感じがする。
この寺が元包の時代に移転したときにはすでにこの門があったと思われる。
伽藍配置図があった。
珍しいのは、山門の真横に庫裏があること。
伽藍配置図には「第二庫裏」とある。
山門をくぐって進むと右手に井戸。その背後には(第一)庫裏が見える。
本堂。
入母屋屋根の建物だが、軒のボリュームがなく、妻飾りものっぺらぼうという、薄味の建物だ。
本堂の左側には、伽藍配置図によれば「毘沙門堂」とされる建物がある。
中を覗いてみると、構造的には「仏殿」であり、用途的では「禅堂」になている。つまり「毘沙門天を祀る仏殿型式の禅堂」ということになる。
当サイトでは構造を基準にする場合が多いので、この建物は仏殿としてカウントする。仏殿とは床がなく、中央に須弥壇のあるお堂のことである。
須弥壇の左側には2体の毘沙門天が置かれている。
須弥壇の左側には、道元(?)、吉祥天、釈迦如来が置かれていた。
本堂の裏山にはイイ感じの鎮守社。
山門の左側には鐘堂があった。
(2003年09月06日訪問)