
湯本温泉の一角に水車小屋があるというので、最後に立寄ることにした。場所は大寧寺があるのとはひとつ谷筋を隔てた、三ノ瀬川という谷川。
ここには、毛利輝元によって御用窯が作られ、以来、陶器の生産地となった。現在でもいくつかの窯元がある。焼いているのは、もちろん萩焼。

水車小屋は道路から見える場所にあった。これはわかりやすい。
この道は行き止まりなので、目的がなければ入ってくることはないが、道を走ればかならず気がつく水車小屋だ。

型式は水唐臼。
唐臼というのはシーソー式の杵を使って脱穀や精米などをする臼のことで、必ずしも水力を使うわけではなく、人が足で踏むものも唐臼である。水力を使うものを区別して水唐臼という。

内部は搗き臼×1。いまでも使っていそう。
陶土を細かくするための産業水車の一種だ。同様の水車としては大分県の

取水部を見ていこう。
堰は小屋の5mほど上流にある。すぐ近くだ。

堰からは用水路に取水され、その用水路からさらに分岐して樋を介して水受けに掛かるようになっている。
樋への取水部分は石で水量を調節するようになっている。

樋の位置より杵が高いのと、下に梯子のようなものがあるのが着目点だ。
一般的に水唐臼は杵の反対側にスプーンのような水受けがありそこに水を溜めて鹿威しのように作動する。
だがこの物件では杵に水がかからず、下部の梯子状の部分に取り付けられる水受けに水が入り、クランクシャフト状の機構かロープを介して杵に動力を伝達するタイプと思われる。水受けが取り外されているのでわかりにくいが。

このようなタイプの水車を綱唐臼と言うようだ。珍しいものだと思う。初めて見た。
杵に直接水がかからないので、部品交換がしやすいというメリットがありそう。

近くには瀟洒な棟門があった。窯元の一軒ではないかと思われる。
石柱に「窯祖新兵衛光政址」とある。毛利輝元が朝鮮から招聘した陶工から二代目の名前だ。窯がここにあったのだろう。

こちらが工房か。

すでに時刻は18時半をまわり、日が長い5月でももう薄暗くなってきた。
きょうはここまでだ。

帰り際、湯本温泉の公共浴場「恩湯」に入って行くことにした。屋根に載ったネオンがなんともいえない温泉情緒を醸す。ネオンって重要だな。これがあるとないとではずいぶん印象が違うだろう。
きょうは宿ももう決まっているので、このあと市内の料理屋でイカの活け作りを堪能。久しぶりにグルメな夜となったのだっった。
(2004年05月02日訪問)