大寧寺

門前の石橋がみごと。境内には豊川稲荷がある。

(山口県長門市深川湯本)

長門市の市街できょうの宿泊先を見つけた。飛び込みなのでいったんチェックインして、夕食と風呂を外で済ますと伝えて外出。日が長い5月なので、市内でもう1~2ヶ所見ておくことにした。出かけたのは湯本温泉にある大寧寺。寺を見たあと日帰り温泉に入浴するという計画である。

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寺は湯本温泉からちょっと谷に入ったところにあり、谷川を渡って境内に入るようになっていた。

朱塗りの太鼓橋は虎渓橋という名前が付いている。

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その上流に石橋がある。ここが旧参道になる。

手すりもない危なっかしい橋なので、新たに虎渓橋を造ったのだろう。

この橋は盤石橋という名前らしい。

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橋脚の石垣から持ち送りでせり出した石組みに、橋げたをサンドするような構造になっている。

アーチとは違うが、圧縮に強い石の特性をうまく使って広いスパンを作り出している。

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石製の橋げたというと、劈開した板状の変成岩を利用したものを時々見かけるが、この橋で使われているのは火山岩で柱状の節理で出来た棒状の自然石を使っている。

しがたって橋床は一枚岩ではなく、石畳のようになっている。切石ではないので非常に難しい架橋であろうし、一見の価値があるものと思う。

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さてこの橋を渡って寺の境内へ進もう。

伽藍配置図はかなり具体的で、細かな建物まで丁寧に表示してあるのがうれしい。

特に庫裏の裏側のほうにある方丈、茶室といったあまり参拝者に関係のない建物まで名称が書かれているのはめったにないことだ。

堂の数はかなり多いほうだ。丸付き数字で書かれている番号にしたがって、記事中の呼称にも数字を付けようと思う。

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境内は樹が多くクロマツを中心とし、サクラやモミジなどがあり季節ごとに楽しめそう。

境内に入り最初にあるのが「㉑山門跡」。12個の柱が立つようになっているので、少なくとも八脚門か三間の楼門があったのだろう。規模的には、楼門か二重門の可能性が高いか。

基壇はなく、自然石の礎石の上に猫石(?)がある。猫石が新しいので、少なくとも一度は再建されて、また失われているのだろう。

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山門跡からまっすぐ進むと短い石段を経て「①本堂」がある。

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本堂にあったおみくじの自販機。1回100円という現代風の価格設定。

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本堂前の石段は、池の中を通る土橋で、その両側は「⑳放生池」になっている。

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放生池の中には「⑩観音堂」がある。

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そのちょっと先には宝庫と思われるものがあった。

伽藍配置図にはシルエットは書かれているが、建物名はない。もう使っていない建物なのかも知れない。

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本堂の右側には伽藍配置図でいう「②庫院」。庫裏と同じ意味の言葉だ。

本式の庫裏ではなく民家風の造り。本堂とも密着していない。

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庫裏と本堂の間に玄関。

庫裏と本堂は渡り廊下で接続している。

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本堂の右側には「⑥開山堂」。

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開山堂の先には「⑨位牌堂」がある。位牌堂まで渡り廊下が通じている。

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開山堂と本堂のあいだの渡り廊下をくぐると、本堂の裏側へ出られる。

本堂の裏には回遊式の庭園がある。その奥に見えるのは「③紫雲閣」という名前の堂。一般的な呼び名でいえば書院だろう。

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伽藍配置図で「④方丈」とされる建物。

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左は開山堂で、その裏手に「⑥智日堂」がある。

ここまでが寺の本坊部分の紹介だ。これだけでもかなり堂が多い寺なのだが、この寺には別に鎮守社エリアがあり、そこに豊川稲荷が勧進されている。

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鎮守社エリアは最初の伽藍配置図には載っておらず、境内を左手のほうへ参道が続いている。

新しく整備された場所だ。勧進されたのは昭和36年(1961年)ということだが、本格的に整備されたのはごく最近っぽい。

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鳥居はちょっと木割りが細い気がする。

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鳥居を入ってすぐ左手に水盤舎。

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蛇口から水が出るのではなく、水船の中から注水するというタイプ。なんだか家庭用流しそうめんを思わせる水盤だ。

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拝殿、本殿も新しい。まだ築10年くらいの感じ。

拝殿は入り母屋妻入り。

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本殿はめずらしい切妻妻入り。

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他に境内には「お人形堂」というものがあった。祀られているのは観音菩薩なので、観音堂である。

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勝手には奉納できず、社務所へ申し込むことになっている。

(2004年05月02日訪問)

福岡県の神社 (アクロス福岡文化誌 6)

単行本 – 2012/5/1
アクロス福岡文化誌編纂委員会 (編集)

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