浜五挺唐樋

干拓地を守るために造られた自動開閉式の水門。

(山口県山陽小野田市西高泊)

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當島八幡宮という神社の参道。

小山になっているが、以前は當島という島だったのではないか。いまいる参道はその島から付き出した小さな半島のような地形。

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ここへ来た目的は神社ではなく、その参道、写真で柵になっている箇所にある施設、唐樋(からひ)である。有り体にいえば水門である。

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これがその水門。

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長田屋川という川の河口に作られ、潮の干満に応じて開閉して、干拓地側の水位が上がらないようにした設備だった。水田の耕作地である上流部分へ海水が入りにくくするという働きもあったろうと思う。

築造されたのは江戸中期の1668年。この半島は砂州ではなく岩盤でできているが、その岩盤をくりぬいて造られているという。はじめは3挺だったのが1857年に拡張され5挺になったのだという。

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上流側。

長田屋川とつながった大きな緩衝池になっている。

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現在は別の場所に機械式の近代的な水門があるので、この唐樋はつかわれておらず、水が流れることはない。

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海側。

海側は現在は土手で囲まれていて、池のようになってしまっている。実際には海には接していない。

高潮の時などに損壊しては困るので、使わないようになっているのだ。

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門扉は上下スライドではなく、蝶番によるはね上げで開閉していた。門扉を引っ張り揚げるロープがシャフトに巻かれているが、このシャフトは日常は使用せず、水圧で自動的に開閉するようになっていたという。

海方向から潮池方向へ水が流れようとすると、水門が弁のような働きをする仕組みだ。

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自動とはいっても、実際は流木が挟まったりして閉まらないこともあったろうから、つねに管理人がいてメンテナンスしていたはずだ。

シャフトにはホゾ穴が空いているので、手動で開閉させるときは、鉄の棒でも刺して回転させたのだろう。

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気になるのは、石垣に使われている石の切り方などがきれい過ぎること。最近、積み直したようにも思える。

もしかして、ある時代に省みられずにぼろぼろになっていたののを復元するときにきれいに直し過ぎちゃったというやつではないのか。

(2004年05月04日訪問)