伯耆大山の大山寺に到着。
大山寺は、大山の北麓一帯にある一山寺院で、奈良時代に創建され、平安時代には高野山や比叡山に匹敵する巨大な寺院だった。戦国時代には強力な僧兵を擁し、中国地方の軍事勢力としても隆盛をほこった。最盛期には僧房が100を越えたという。
だが江戸時代の戦のない時代になると寺の勢力は衰え、さらに明治の廃仏毀釈によってさらに衰退した。
さて、その大山寺の全体像を下図で紹介しよう。寺の敷地は、佐陀川をはさんでおおまかに東西に分かれている。下図は上が南になった地図である。
観光の中心は図の左半分(東側)で、ここは寺というよりは神社の性質が強く出ている。神仏分離の際に、神社として分離したのだろう。この神社エリアには、宿屋というか宿坊が軒を連ねる門前町があり①理観院、②清光院、③不老院、④観証院の4ヶ寺が図に確認できる。
図の右半分(西側)は阿弥陀堂を中心とした、寺の要素の濃いエリアで、地図からは⑤金剛院、⑤蓮浄院、⑦圓流院、⑧洞明院が確認できる。
ほかに場所がわからないながら普明院、法雲院、寿福院、禅智院という塔頭があるようだ。
まず、阿弥陀堂のある西エリアへ来てみた。
石段の両側に石垣が積まれ、かつてここにたくさんの僧房が並んでいたのだろう。現在は地図によれば4ヶ寺が残る。
もっとも坂の下にあるのが金剛院という塔頭。
棟門の山門がある。
中には入ることができず、塀越しに見るだけだった。
寄棟造りの民家風の建物で、屋根は茅葺きにトタンを載せたもの。
このエリアには寺目当て観光客はおらず、大山の登山者がいる程度。
この塔頭街の中の道が、大山の登山口にもなっているのだ。
(2005年05月04日訪問)