山間地の入口でショッピングセンターわにぶちを見て、このあたりに大きな鉱山でもあったのではないかと思い、少し谷を分け入ってみた。
すると、、、あるある、これって鉱山住宅だよね!!
もちろん今は誰も住んでおらず、廃虚になっている。
鉱山住宅の場所はこのあたり→ https://goo.gl/maps/ctM5dGwR4uzyBKug7
鉱山住宅からさらに500mほど唐川川に沿って進むと、巨大な採石場がありホッパーの跡のようなものが現われる。
現在では使われていないようだが、これも元は鉱山の設備であろうことは容易に想像される。
道ばたのバス停には「
調べてみると鰐淵鉱山は
そのため鰐淵鉱山では黒鉱と石膏の両方を採取した。そのうち石膏の産出量は戦後日本最大の鉱山であった。
上の写真で山肌がそぎ取られ露天掘りになっているのは現在は建築資材としての砕石を採っているからだが、鉱山操業当時は坑内掘りだった。海外の輸入石膏との価格競争で鰐淵鉱山は1978年に閉山した。古い雑誌に当時の写真が載っている。このエリアは金山地区と呼ばれ写真には縦坑櫓が見える。写真の⑦, ⑧の建物の基礎が現在でも確認できたもの。坑道は主に写真奥の山の尾根の地下に広がっていたようだ。
さらに雑誌の写真には切れているのか、あるいは、この写真の撮影後に作られたのか、⑦の建物のさらに右側に谷をまたぐ鉄橋がある。
その橋脚。
鉄橋の右側がかつて選鉱場などが並んでいた場所でメインの鉱区、左側の山は主に石膏だけを産出した鉱区だったようだ。
左側の坑道から右側の坑道へ鉱石を運んだトロッコが走ったのだろう。
購買所と思われる建物に気付いたおかげで、鉱山の遺構を芋づる式に見ることができた。
2019年現在、2枚目の写真の鉱山住宅、および、鉄橋の橋脚は撤去されてしまっている。
(2005年09月02日訪問)