往路と同じ道を戻る。
ここはセキュリティゲートがあった村だ。
近くには古くからの村があるのだが、ここはその村はずれに作られた新興住宅地のような場所。
復路でもゲートは無人だった。
他の地域との境界でもなく、軍事的な意味もなさそうなので、道路の通行料を徴収するためのゲートかもしれない。
ミャンマーでは町の通行料みたいなものがある。町を通過する車両によって道路が傷むことの補償として、町の入口で通行料を徴収するところがけっこうある。ほとんどの場合オートバイは無料だが、一度だけ村の料金所でお金を取られたことがあった。
衛星写真は雨季に撮影されたものなのだろう。自然堤防の上に作られた村々がまるで島のようだ。
村と村の間はかさ上げされた道路が橋のようにつないでいる。こうしたかさ上げした道路が造られ、荷車なりオートバイなりが通れるようになったのはここ10~20年ではないかと思う。それまでは雨季には川を移動したり、川から湿地に舟を乗り入れたりして行き来したのではないかと想像される。
この新興住宅地は矢印の場所で、あまり条件はよくなさそう。
衛星写真で水面に見える場所は、乾季には水田だったり荒れ地だったりする。
だいたいはこんな風景。
いまは乾季が始まったところで、まだ水が完全に引いていない。
いっぽう「水田」といっても用排水が整備された日本の水田のイメージとは違う。
耕作が大変そうなだけでなく、農作業のために圃場へたどりつくのも面倒な湿田なのだ。
でもこんな場所で人間の活動を支える食料を生み出すんだから、コメという植物はすごいポテンシャルを持っているのだとわかる。
この村のT字路に火葬場があった。
火葬炉は煙突も屋根もない、剥き出しのタイプ。
この鉄棒の下には薪を積み上げ、鉄棒の上に遺体をうつぶせに寝かせる。遺体の上には毛布を掛ける程度でほぼ剝き出しの状態で荼毘に付す。
ちょっとショッキングな火葬方式なのだ。
引導場を見てみよう。
内部はシンプル。綺麗に清掃されている。
奥にあるステージに遺体を置き、僧侶が引導を渡すのだろう。
特にカギがかかっているでもなく、中にはいれる。以前、中で休憩(昼寝)している人を見たことがある。
引導場の入口では水がめが割られていた。葬送のときに故人が使っていた水がめを割る風習があるのだ。
ホウロウ引きの洗面器みたいなものも捨てられていた。
引導場の横には井戸がある。そういえばいままで火葬場に井戸があるかどうかって気にしたことなかったな。
ここは単に火葬場のある場所というのではなく、T字路になっている。そういう場所には茶堂や井戸があることが多いので、井戸は火葬場に附属しているのではなく、T字路に由来するのかもしれない。
あとはただひたすら未舗装の道を戻るだけ。
遠くには南ヤテピャン山脈が見えている。帰るべきパアンの町はあの山脈のまだ先だ。
(2019年11月10日訪問)