

堀越庵から奥に進むと分校跡地があり、そこには壺井繁治の詩碑がある。生家がこの近くらしい。
繁治は詩人で、『二十四の瞳』を書いた壺井栄の夫でもある。

その先に、小さな神社があったのでお参りしていく。堀越荒神社という神社だが詳細は不明。
割拝殿があるが、面白いのは拝殿への通路が斜めに付いていること。

割拝殿の中も斜めに通過していく。


本殿は流造り。

本殿の右側に末社があり、こちらも流造りだった。

境内にはほかに蘭塔。

分校跡地の周辺を少し歩いてみる。

石垣の途中に梁が突き出している。この部分に床張りして上を歩いたのか?

ときどき夢の中で昔に住んでいた場所としてこんな狭い急斜面の路地が出てくることがある。
実際にはそういう場所に住んだことはないのだけど。

だいぶ時間が遅くなってきた。四国の阿讃山脈の山並みがみかん色に染まっている。
きょうはもうあといくつもお寺を見られないだろう。
(2007年10月06日訪問)