次の小さな城を求めて吉野町へと来ている。下道で香川県のほうへ行くとき決まって通る県道235号線、西條大橋で吉野川を北に渡ったところに、現代ではなごりしか感じられないような街がある。
明治~戦後ごろにはそれなりに栄えた街だったろう。こうした町には芝居小屋や映画館があったはずだ。徳島県では、特に吉野川の左岸(川北)に芝居小屋が多かったような印象がある。何か文化的な違いがあったのだろう。
町内で数人に聞き込みをしてみた。なぜこんなことをするのかというと、映画館の建物がまだ残っている可能性があるからだ。
吉野町には古い時代には一條座という芝居小屋があったという。塩野さんという人が経営していて、時代劇の一座などが公演したという。
その場所ははっきりとわからなかった。写真のあたりかもしれない。➡場所
少し時代が下って、キリン館という映画館ができた。その場所は聞くところではこの白壁の家があるあたりだという。もしかすると、手前の半切妻の美容室は、その映画館の塔屋だったかもしれない。
少し離れたバス停でバスを待っていた老婦人に話を聞くことができた。
「キリン館、ワタシがお嫁に来たころにはありました。しまいごろは映画だけじゃなくてお芝居の役者が来たり、日本舞踊の発表会に使ったりとかね。そういうふうにボチボチ使っていましたよ。ワタシがお嫁に来たころゆうたら、いま76ですから23のときに来ましたからね、50年ぐらい昔ですよね。昭和の50年ごろまでは建物のカタチがあったんじゃないですか。」
「どんなお芝居、演目を見ましたか?」
「お芝居は行ったことないけれど、映画はとにかく、普通の映画が来ました。で、ワタシ乳飲み子かかえて、どうしても見たい映画があって、見に行ってね。そんで主人に怒られました。そんな乳飲み子かかえてな、映画館や行くやゆう阿呆な女はおらん、とか言ってね。」
「その映画は何だったか覚えてますか?」
「忘れました~アハハハ、怒られましたよ、ほんだけどどうしたって見たかったからね。」
笑って忘れたって答えたけれど、きっと何の映画だったかは覚えているに違いない。でもそのタイトルを口にしたら、娘時代に誰に熱を上げていたかわかってしまうから言えないオトメ心なのだろう。
地方の映画館跡にはそうしたかつての楽しかった思い出、にぎやかだった町の記憶がまだ残っているのだ。
(2008年03月02日訪問)