山の神神社に立ち寄ったあと、そう遠くない場所で廃自販機を見かけたので写真を撮った。でもそれがどこだったのかわからない。
写真のタイムスタンプを見ると、山の神から10分程度の場所ということはわかるのだが、GoogleMapsで捜してみてもそれらしき風景の場所を特定できない。
将来ストリートビューがもう少し細かく撮影されたらわかるかもしれないので、右上の地図はこのへんじゃないかという場所にマーカーを立てておく。
販売機は雪印ドリンクスで、見本窓は破壊され見本缶は抜き取られていた。
ん? 自販機の横に赤い棒が何本も転がっている。鳥居のようだ。もしかして神社があるのか?
いまは森に還りつつあるその場所も、石垣が積まれているのでかつては畑や人家があったのだろう。
山から大量の薪を切り出していた時代、おそらくこのあたりの山には樹が少なく、見晴らしのよい段畑が山の斜面を覆っていたはずだ。そのころと全く違う風景を21世紀の人々は見ているのだ。
沢に少し入ったところに、神秘的な岩の割れ目があって小さな石祠が置かれていた。石祠はまだ新しいので、元々は木製の祠があったところに置き換えたのだろう。
この一帯にはたくさんの木材が転がっている。ここにかつて神社があったのだ。
四国の山地には、いまの私たちには信じられないような場所に人が往来するルートがあって、そうした山道を歩けば、誰にも省みられず消えてゆく神社やお堂がある。
わりと大きな末社、あるいは、神社の本殿か。
鮮やかな赤い色がむしろ寂しさを際立たせている。
落ち葉に埋もれてゆく末社。
このように、屋根の途中で折れ曲がっている流造りをこの地域ではよく見る。
個人的に流造りとは区別したほうがいいように思っている。
沢にはわずかだが水が流れている。
真冬なのに水があるということは、おそらく1年を通じて水がある沢なのだ。
明かりを灯せそうな石灯籠。
その前には沢水を引いた水盤があって、水をくめるようにしてあった。
どこだかわからない場所を記事にするのは初めてだ。
いままでなら写真があっても記事にすることはなかった。でも、こういうグダグダな些細な出来事を書き残してみてもいいんじゃないかとも思う。
(2003年01月01日訪問)