鴨島の繁華街をもう少しぶらつくことにする。
文化座跡の前にあった商工案内図。
特に面白いものではないけれど、こうして写真に残しておけば将来何かの調べごとに役立つかもしれない。現に、文化座跡にできたスーパーマーケットの名前が「マミーカモシマ」という名前だったということが判明したし。
文化座跡の横丁を東方面へ進んでみる。案内図で「鴨島農協」へ続く路地だ。そこは「文楽通り」と呼ばれる飲み屋街である。
かつて徳島では人形浄瑠璃がさかんに上演されたので、それに由来する名前かと想像してしまうが、実はそうではない。
この道の先にかつて「有楽座」という映画館があった。
2つの映画館「
鴨島はかつて蚕都と呼ばれる製糸の街だったが、もうひとつ名物があった。それは秋に開催される菊人形である。
菊人形展示は現在も市役所の敷地で細々と継続されているが、かつては有楽座がある一角に会場があった。開催時には臨時列車も出て、文楽通りは人とぶつからずに歩けないほど混雑したという。
この菊人形も元は大正時代に筒井製糸が文化事業として始めたものだった。
個人商店が勝手に設置したと思われるアーケード発見。
文楽通りで一番目を引くのが「はなもり」という居酒屋。
街が繁栄したときの料亭の名残だろう。2階では結婚式などもできたかもしれない。
現在はこじんまりとした居酒屋で、入ったこともあるけれどご飯物が一切なく、店主のおまかせでツマミが出てくるタイプのお店だった。餃子で夕飯にした。私はお酒を飲まないのでちょっと居心地が悪く、店主もすまなそうにしていた。
路地を進んだところにあった2階建ての長屋。
手前が1階、奥が2階になった看板建築のしもた屋。
もしかしたら銭湯の跡?
有楽座の正確な位置はっきりわからなかったが、銭湯跡(?)の前のアパートなど並ぶ住宅街のあたりにあったらしい。映画や大衆演劇などを上演したという。
有楽座は終戦後の昭和24年(1949)に誕生し、とても繁盛したが昭和35年(1960)に火事で全焼、その後再開したものの経営難で廃業し、菊人形は吉野川遊園地へ場所を移した。
(2007年01月01日訪問)