前橋飛行場跡(堤ヶ岡飛行場)

太平洋戦争中に陸軍の飛行場があった。

(群馬県高崎市棟高町)

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きょうは高崎に買い物に来ている。ミャンマーへの仕事の出張が急に1ヶ月後に決まり、あわてて旅の準備をしているのだ。

群馬県西だと、安直だけどとりあえずイオンモール高崎へ。

ところで、イオンの南西方向に広い農地があることは多くの人が気付いていると思う。この農地は周囲のこまごまとした地割りと無関係にきれいな長方形をしている。

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ここには太平洋戦争中に陸軍の航空隊基地があったのだ。正式名称は「前橋飛行場」だったが、人々は「堤ヶ岡飛行場」と呼んでいた。

その用地の地割りが現在もそのまま市街化調整区域として残っているのだ。

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この飛行場の用地は戦時中に強制的に収用されたものだ。(写真はGoogleMaps)

1943年5月に陸軍担当者が村を訪れ半ば強引な契約捺印、9月には着工、翌1944年2月には仮設滑走路が完成するという強行スケジュールだった。わずか数ヶ月のあいだに住民は立ち退きを余儀なくされた。その歴史もあってか、ここは市街化調整区域の青地農地として周囲の開発から除外され畑地として残ってきた。

だが2006年にイオンモールの南側の一画が青地を外され、商業用地に転用された。

場所は渋高バイパスと西部広域幹線道路の交差点にあたるので、前橋、高崎、渋川からのアクセスがよく、2029年に道路が全通すれば安中・富岡方面からも近くなるという好立地。

今後この道路に面した土地から調整区域や農用地区域が外されていくことが予想される。

そうなる前に一度今の様子の写真を撮っておこう。

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イオンモール高崎の場所から南東方面に細長く滑走路があったそうだ。

私の父は子どものころここまで飛行機を見に行ったという話をしていた。赤とんぼ(九三式中間練習機)が飛んでいるのを見たという。掩体壕なども造られたというが場所は不明。

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長いあいだ眠っていた戦争遺産がいま新たな商業の拠点として開発されようとしている。

(2013年12月26日訪問)