私は吾妻方面で移動するとき、ほぼ吾妻川右岸の〝ヒカゲミチ〞と呼ばれる間道を走る。左岸の国道を走ることは滅多にないのだが、この日は久しぶりに国道を走っていた。
すると、、、
あ、稚蚕飼育所じゃん!
こんな目立つところにあるのに、なんでいまで何で気付かなかったんだろう。
ただし、建物としては飼育所だとは中々気付きにくい外観だ。
どちらかというと気がついたのは地下室への入口。
稚蚕飼育所には地下に桑を備蓄する「貯桑場」という部屋があるのだが、この施設は道路から直接地下室へ桑を搬入できた。
入口も広く、作業はしやすそうだが、いまは国道の交通量も多く歩道と縁石があって、軽トラを横付けすることはできない。
屋根には3基の換気塔がある。
うまい具合に配蚕口の磨りガラスが割れているのでそこから中の様子が見られそう。
見ていきますか。
資材の段ボール箱に養蚕組合の名前が残っている。
飼育所の名前は矢倉稚蚕共同飼育所。資料によれば昭和39年竣工で、最初からブロック電床育だった。
ムロは3列の蚕箔が入るものが5室、2列のものが1室。つまり、全体で17列、170箱(340万頭)のカイコを掃き立てることができた。
写真右側の2室目は幅が狭い。奥側に南向きの扉を付けたことで寸法が圧迫されたのだ。
小屋は木造トラス。昭和38年竣工の赤岩稚蚕共同飼育所は和小屋で土室育なので、昭和39年に仕様が変わったのか?
小屋に細いヒモが張り巡らされているのは、ムロの奥にある高窓の開け閉めのためのものだろう。
扉が開いているムロの天井にはサーモスタットと思われるセンサーが見える。
桑くれ台。
一般的にはX字型の折畳み式だが、これは普通のウマ。使いにくそう。
奥に見える布がかぶったものはおそらく天龍式剉桑機だろう。
ムロの床には電熱線が見える。
手前にある丸い器械は消毒用のアルコールランプ。ランプの上に金属の皿があり、そこでホルムアルデヒド錠剤やホルマリン液を熱して気化させ室内やムロの中を殺菌した。
これが並んでいるということは、この飼育所を閉めた最後の秋にはまだ来期に使うつもりだったのだろう。それを片づけることもなく閉鎖されたのだ。まさに瞬間冷凍ともいえる状態。
屋外には蚕箔を洗う消毒槽が残っている。
おそらくこの飼育所は、閉鎖後に他の用途に転用されたことがなく、ブロック電床育の往時の様子をかなりよく伝える歴史的に貴重な建物といえるだろう。
(2012年07月29日訪問)
