三峰山の山麓に大きな塔が見えることはずいぶん前から気付いていたのだけど、これまで一度も現地まで行ったことがない。
きょうは目的もなくブラブラする日なので、行ってみることにした。
近くまで行くと、敷地へ登る参道が草だらけ。
どうやら廃虚化しつつあるようだ。
遠めには西安の大雁塔か、ブッダガヤの大菩提寺のレプリカかと見えたが、そのいずれでもなく、八角錐ののっぺりとした塔で、各国にある独立記念塔的な印象の建物だ。
側面に「鎮魂之碑」というプレートが埋め込まれている。
塔の回りにはけっこう建物がある。
ひとつひとつがどのような目的の建物なのかは想像できない。あえて言えば衆寮か。
つまり例祭などの際に信徒が休憩したり宿泊したりするのではないか。
ピンクの電話があった。
こちらはなんとなく管理棟っぽい。
講堂か。
トイレでかすぎでしょ。どんだけ前のめりでお寺作ったの?
塔や建物の総工費は数千万円は掛かっていそう。
いまそれらすべてが山に還りつつある。
塔の高さは20mほどか。
入口はシャッターで閉じられている。内部はどうなってるんだろう。窓らしきものがないので、2階以上には登れない気がするが、中も見てみたい。
定礎のようなものがあった。
どうやら「鎮魂之碑」の文字は小渕恵三が官房長官時代に書いたものらしい。小渕恵三が官房長官だったのは昭和62~平成元年(1987~1989)なので、この塔が作られたのも昭和の終わりから平成の始めのころなのだろう。
案内板を発見。ツタに覆われていたので掘り出した。
それによれば、この塔はスマラン事件で亡くなった人を供養するために建てられ、塔内には名簿が収められているとのこと。
スマラン事件とは、太平洋戦争の終戦直後にインドネシアの独立を求める急進的なグループが、連合軍の指揮下にあった日本軍を襲撃して多数の死傷者が出た争乱だ。
塔の回りには仏像がいくつか並んでいるが、よく目立つのがこの触地印の仏陀。
基壇には「n」みたいな文字が並んでいる。ジャワ語だろうか。
塔へ登る階段の右側に置かれている仏陀。
印相は施無畏印。
左側は説法印の仏陀。
手に花を持つ珍しい印相の仏陀。
塔の回り崩れた仏像が転がっている。
仏陀の背後にいる夜叉っぽい何か。
バリのほうのヒンドゥーの神さまかな。
帝釈天的な何か。
聖天的な何か、というか、ガネーシャ。
異国の神々が、きわめて日本的な植生の中で朽ち果てているという不思議な風景。
敷地からは西を見ると、先ほどまでいた月夜野の町並みが遠望できる。
珍寺大道場の小嶋独観さんによれば、境内にある建物群はパラグライダースクールとのこと。
(2021年08月23日訪問)