初絵とは、正月に子どもたちが売ってまわる縁起物の版画である。購入したのは養蚕に関係する4枚で、直販価格は1枚100円。
① 福の神:数字は大の月、小の月で一種のカレンダーだ。明治5年以前の太陰暦時代は毎年大の月と小の月が変化したのでカレンダーを貼っておいて確認する習慣があった。中央のところに「蚕」の文字があり「卯のとし、此の蚕ばんざい」と読めそう。でも太陰暦時代の卯年でこの大小の組み合わせの年はないので、太陽暦になってからもカレンダーで確認する習慣がしばらく続いたのだろうか。謎だ。
② 大黒天:おそらく「当年春も蚕も当る 御蔵のかぎのひもをしめ 金を呼ぶ きょうも千両 あすは万両」とある。「蚕が当たる」とは養蚕が豊作になるという意味。縁起の良い初絵らしい内容。
③ 猫絵:ネズミが繭を食害することから、その天敵の猫は養蚕の守り神とされている。文章は「今年より 日々繁昌 まねき猫
④ 絹笠明神:右手に
養蚕に興味があることを告げたら、もと養蚕農家だった主屋を特別に見せてくれことになった。
2階の上に3階を増築した、当サイトの言うところの〝カイコ要塞〞だ。
こちらはお店でもワークショップの部屋とも別で、たぶん普段は公開されていない自宅の居住部分。
階段の右側が主屋で左側は納屋。スキップフロアになっている。
2階(?)
家財道具などがあるが、養蚕の道具は見当たらない。
3階への階段。側板に注目!
「大工 本多三良 昭和四十年六月吉日之作 三階拡張記念 春蚕拾箱」とある。3階を作ったのは意外と新しいことがわかる。
群馬県北部の春蚕は6月中旬ごろ配蚕なので、6月に階段を据え付けたとなるとギリギリだったのではないか。そこで10箱(20万頭)は中々の綱渡りだったと思われる。
3階へ。
しっかりしたハシゴ階段なので登るのは難しくないが、荷物を持って登り降りするのは容易ではなかったろう。
3階には蚕箔が残っていた。
木でできたパレットのような蚕箔だ。
もちろん普通の竹の籠の蚕箔もあった。
奥に見えるトタン板のトレーは、稚蚕用の飼育箱だと思う。
切妻屋根の大棟を切って建物を継ぎ足した中はこんなになってるんだ・・・。
柱や束がまったくなく作業はしやすそう。
梁に竹が添わせてありヒモが下がっているのは
電床のようなものがある。
蚕は蔟に入ってから繭を形成するのに2~3日、繭の中で変態するのにさらに2~3日かかる。繭質を安定させるためには、営繭中の気温の管理も重要で、気温が下がる夜間などは電床で暖めたのだろう。
もちろん、日中気温が上がれば窓を開放して換気もできた。
この3階の小屋には煙出し櫓の部分にも力天井があり、ハシゴで上れるようになっている。
つまりこの主屋は4階建てとも言えるのだ。
(2010年01月12日訪問)
