火番小屋習俗があった海老名集落を南側から見ている。古い集落は家の敷地1~2戸分の幅の細長い形状をしている。自然堤防である。
いまいる場所から見ると、海老瀬下新田の家々は3~4mは高くなっていることが見て取れる。この地域は過去、何度も河川が氾濫した場所だから、ちょっとした水害であれば被害が出ないような微高地に人々は住み着いた。
微高地に住むということは生活の知恵というよりも、氾濫原で生きていく最低限必要な条件ともいえる。
財力のある家はさらに家の敷地を嵩上げして安全性を高めた。
いま開発されているニュータウンや大学の敷地は、昔からの集落とくらべてかなり低い土地であり、50年、100年というスパンで見れば、1度や2度の浸水被害は見込んでおく必要があるだろう。
このような洪水が頻繁な地域に見られる独特の施設がこの写真の「
家の敷地の裏などに数mの盛り土をして、その上に蔵を建てたものだ。
そのうちの2軒にうかがって、水塚を見学させてもらった。
こちらのお宅の主屋の前は石垣になっていて、主屋自体も盛土してあるが、左側の樹木の影にある蔵はさらに盛土が高くなっている。
この家の庭には自治体が立てた案内板がある。
昭和22年の洪水の際、看板の赤い線まで浸水したと説明されている。
これだと後ろのガレージの1階はほぼ水没、主屋も床上浸水は免れない。
しかし、水塚はそのときのレベルの大災害時でも被害が出ない高さに築かれている。
おそらく過去の度重なる氾濫で、これ以上は水が来ない、という高さがわかっているのだろう。
水塚を裏側の道路から見たところ。
周囲は屋敷森や竹やぶになっている。
冬のからっ風を防ぐ防風林であると同時に、洪水時に上流から流木などが流されてきても、この林で受け止めて、主屋が壊れるのを防ぐための森だ。
もう1軒の水塚のあるお宅も見せていただいた。
基本的な構造は同じ。主屋も石垣で嵩上げされているが、左奥に水塚がある。
こちらのお宅では水塚自体が流木除けとして機能するのだろう。
蔵の下屋に舟がつり下げられていた。
「
水害地域の古い家にはこうした舟があったが、木造船なのでいつの間にか痛んでしまい廃棄されがちだ。
たぶんだけれど舟の年代は昭和前半だろうと思う。聞いた話では、現代の軽自動車を買うくらいの価値はあったようだ。
上げ舟ばかりに目が行きがちだが、その下に置かれているモノにも注目したい。
これは「
水塚を裏側から見たところ。現在、屋敷森はなく竹やぶだけで水塚をガードしている。
この水塚は私有地に入らせてもらわなくても、公道から見られるので、水塚がどういうものか気軽に見学したいというのに適していると思う。
(2012年12月28日訪問)