上富のけやき通り。その中ほどに、三富を学ぶための施設がある。
旧島田家住宅だ。
私は大学時代に埼玉に4年間住んで、そのときに何度かこの辺りを訪れたことがあるけれど、そのころにはまだこの施設はなかった。
島田家は三富開拓の名主で、場所は三富の中心多福寺に近い場所にあり、いまも子孫が住んでいてたぶん見学はできない。
観光客のための情報センターにするために、主屋を買い上げ、いったん解体して、離れたこの場所に移築したのだ。
建築年代は文化文政時代1800年ごろと考えられている。三富の開拓が始まったのは江戸前期の元禄時代1700年ごろだから、開拓から100年が経過し、こうした豊かな農家が出現していたのだろう。
建物の形式は「食い違い四間取り」。
土間を除く床のある部屋が4つあり、それが田の字ではなく、写真に加筆した赤線の部分で食い違っている間取りのことだ。比較的古い民家の特徴である。
復元としては特に奇をてらったところもなく、しごく妥当な感じ。
移築復元だからこの建物は歴史をそのままつないできたものではなく、学習用のワーキングスペースと見るのが適当だろう。
日本農業遺産に指定されているテーマは「落ち葉堆肥農法」なので、それを学べるようにわずかな農具が置かれている。これは「落ち葉籠」。さまざまな素材が使える現代でもこの竹かごが一番使いやすいのじゃないかな。
庭に苗床が作ってあった。
サツマイモかな。
建物の中に入ってみる。
右勝手で、全体の6割ほどが土間になっている。つまり床のない部分のほうが広いのだ。
座敷の方をみる。
田島家は庶民の学校である寺子屋をしていたので、ここは教室としても使われたという。
けやき通りには井戸がいくつか復元されている。
これが江戸時代に掘られたものか、近代の技術力で深く掘られたものなのかはよくわからない。
開拓時代の井戸はほとんど残っていないというようなことが多福寺の井戸の案内に書かれていた。
この辺りは台地だから水が得られず、大変な苦労をした時代があったようだ。
そのひとつが「カヤ湯」。風呂に湯が使えないのでカヤで汗を落としたというのだが・・・血が出そう。
(2022年04月12日訪問)