長浜大橋

肱川河口にかかる国重文の可動橋。

(愛媛県大洲市長浜甲)

徳島から佐田岬半島へ向かうには松山市→大洲市→八幡浜市というルートが一般的かと思うが、きょうはあえて松山から海岸沿いに国道378号線を通っている。

海なし県で育った者にとっては、海岸沿いの国道を走るだけでかなり得した気分になれるのだ。

決して隘路というわけではなく、快適な国道だ。

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ついでに少し早いけれど、どこかの漁村で海のものでお昼でも食べたいなどと思いながら長浜町まで来ていた。

長浜でぜひ見ておきたいのが、長浜大橋。

国道のバイパスをはずれて旧道に入り、橋のたもとまで来てみた。

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見ての通り、中央部に跳開部を持った可動橋だ。

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肱川という大きな河川の河口部に造られている。

真っ赤な塗装が特徴的で地元では赤橋と呼ばれているらしい。

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着工は昭和8年、竣工は昭和10年(1935)という年代ものの橋。

現役の可動橋としては日本で最古ということだ。着工でいえば勝鬨橋とあまり変わらず、竣工は勝鬨橋よりも早かった。

勝鬨橋と違って、現在も跳開が可能である。

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観光のために土日に1回だけ開閉するらしい。

きょうは土曜だけど開閉した様子がない。だってさ、橋桁が閉じるところの橋脚で釣りをしているおじさんがいるのだ。

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左岸側からみたところ。

可動橋は川の上流部に港や工場があるときに造られるが、この肱川にはそうした大きな施設はない。かつて舟運が行われていたころ、帆柱を持った和船を通行させるための機構だったのだろう。

肱川の舟運は中流の大洲や上流部の鹿野川、野村町のあたりまで運行されていたという。この橋が造られた昭和初期には鉄道や陸上輸送に切り替わっていたので、可動橋としての必要性は終わりつつあったのではないかという気がする。

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昔の橋なので大型車両は通行止め。、途中にバリケードが作られている。

乗用車は楽々離合できる幅はある。

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橋の両岸にはモニュメントの街灯がある。

これは橋の構造体とは分離した石柱で、純粋にモニュメントだ。

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跳開部へ行ってみた。

駐輪してある自転車は釣りのおじさんのものだろう。

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跳開部のクランク。

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番人の小屋。

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のしかかる巨大なアンカーウエイト。

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古い鉄橋ってトラスが細かく、鋲が時代を感じさせ、見飽きない。

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このウエイトと橋桁の重さがバランスしているので、大きな橋桁を持ち上げることができるのだ。

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南岸の瑞龍寺の参道から橋を見おろすこともできる。

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現在は河口にあたらしい橋が架けられている。

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上流方向。

中央構造線の南側の山脈が海岸までせまっていて、平地はまったくない。海岸の直前までが渓谷になった先行河川だ。

この肱川の岸を上流まで辿ったら、いろいろ面白い発見があるのだろうな。

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もう一度、長浜の町へ戻ってみよう。かつて長浜町は一種の渓口集落として栄えたことだろう。

木材や生糸、和紙などの林産品が上流からもたらされ、上流部へは生活必需品が送られていたはずだ。

町並みには当時の雰囲気がわずかに残っている。

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現在、長浜大橋より上流部にある唯一の河港。

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跳開が必要な船はまったく見あたらない。

奥に見える学校は立地として新しそうなので、以前は木場だったのを埋め立てたのかもしれない。

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船だまりの近くで見かけた法華経供養塔。

長浜大橋は私が訪れてから11年後の2019年に国指定重要文化財に指定された。

(2008年09月13日訪問)