貞光川の上流へ向かう。
1月で山の日陰には雪が残る寒い日だ。きょうは一宇村の
途中、
橋は人家の横の路地みたいなところにあった。主索が人家の小屋根を貫通しているという、ギリギリな造りだ。
幅員は1m弱、橋長は約35m。
オートバイや、動力付きのネコ車程度なら通れる。
対岸には人家がある。今も人が住んでいるか、つい最近まで住んでいたような感じだ。
この橋の対岸は絶壁のような急斜面の森なのだが、この橋を渡った先には道が続いていて、その先に樫地という字が地図上に存在している。
1/25,000地形図を見ると、国道からの標高差で200~250mほどの高所に樫地という字があり、2戸の人家の記号がある。
他所の人が地図を見たら「いや~、こんなとこに人家はないでしょ? 山仕事の出づくり小屋だよねぇ?」と思うかもしれないが、たぶんこれは人家。四国ではこんな感じの場所に家があるのだ。特に、貞光川とか穴吹川の上流地域には・・・。
山の中の人家については、以前にも紹介したことがある。
GoogleMaps の衛星写真と地形図を重ねると、いまも2戸の建物が残っているのが確認できる。
林産物を主体として自家用の農作物を作る、自給自足に近いような暮らしだったと思われるが、そもそもこのような場所に家屋を建築するというだけでも中々想像できない。
だが、樫地は谷底からかなり登った尾根だから日当たりはよかっただろう。ここに入植した人はいずれここを村にしようと奮闘していたのかもしれないし、あるいは、落人や世捨て人の子孫だったのかもしれない。
この橋はそんな厳しい集落へ行く唯一のルートだったのだろう。
橋床の状態は健全で、歩いて不安を感じることはなかった。
対岸から国道方面を見た様子。
橋の全景。
国道側の家もまったく土地がなく、空中に建てられている感じだ。
(2009年01月18日訪問)