この茶堂がある場所は、赤穂浪士磯貝十郎左衛門の生家の跡なのだそうだ。
こんな山奥から赤穂藩の武士が出ているのか。いや、いまは山奥に感じるが、以前はもしかして林業やタバコでけっこう開けた場所だったのかもしれない。
この場所に個人が設置したと思われる水車がある。
素人が日曜大工で作ったにしては手慣れているから、作者は大工さんかな。
水輪の横には臼と杵が置かれているのだが、心棒は鉄製で羽子板もついていないことから杵に動力が伝わっていない。
何がしたかったのかよく理解できない。まだ未完成でこれから改良していくのだろうか。
一般的な水輪は輪板に羽根板を差し込んだ構造なのだが、これは木箱を挟み込んだような造りになっている。
言ってみればこれは箱水車の一種なのかもしれない。
仕事をしない水輪はたいていすぐ忘れてしまうのだが、ここは四ツ堂と並んであることから印象に残った。
(2006年12月17日訪問)