高越寺の庫裏の奥のほうに行くと、駐車場からの西ルートに出る。そこに荷上げ用の索道がある。
西ルートは庫裏の勝手口に繋がっていることから正規の参道ではなく、昭和時代に錫杖塔などを建設した際に資材を搬入するために造成された新道だったのではないか。だがその新道も寺の付近は狭く、ユンボや軽トラは通れない。
重量のある建材は架線で運び上げたのではないかと思われる。
そのときの架線はそのまま残されて現在でも寺への資材の搬入に利用されてるようだ。
搬器から動滑車でバスケットを吊り下げるタイプ。1本で玉掛けされているので、バスケットがくるくる回転しそう・・・。
先柱や搬器そのものを撮影しなかったのは痛恨の極みで、索道の構造ははっきりせず想像するしかない。
でも写真に写っている架線は4本だから、そのうち1本が荷上索、曳索がエンドレスラインと考えると、曳索は1本で、往復式の索道だろうと推測できる。
荷積み場は高越山の西斜面で、空野集落から林道を入った行き止りの場所ではないかと思われる。地図や衛星写真を見ても場所ははっきり特定できないが、架線の長さは1km弱あるかもしれない。
現在の車道は高越山の東斜面だが、寺にまとまった荷物を搬入するには穴吹町側から入れているのだ。
推定図は次のようになる。
(2002年11月17日訪問)