いよいよ高越山山頂のお寺、高越寺へ。役行者開山という伝説をもつお寺で、徳島県西では心のよりどころとも言える聖山だ。徳島では「おこおっつぁん」と発音される。
自動車で行く場合は船窪つつじ公園側から行けばかなり広い無料駐車場がある。だが駐車場から寺まではまだ1kmほどの徒歩で進まなければならない。
GoogleMapsを見ると駐車場からは尾根の西ルートの道しか載っていないが、西ルートは建設工事などの資材搬入用の新道で、参拝者の参道は尾根の東ルートである。
まぁこれは実際に行ってみれば1,000人のうち999人は自然に東ルートに行くだろうと思う。西ルートは知る人ぞ知るという感じで、存在にすら気づかないかもしれない。
尾根東ルートの入口。
釘貫門がある。
釘貫門をくぐると正面には大黒堂がある。
参道は急斜面の途中にへばりつくように続いていて徒歩でしか通れない。
エンジン付きの動力運搬車だとギリギリな感じで、カーブもあるし転落の危険性も考えたら日常的には使用できないだろう。
参道の途中の崖にくさり場があった。
この鎖はどこかに登るというのではなく、崖のくぼみに置かれた石仏にお賽銭をあげるくらいしかできない。
登って石仏の写真をとったのだが、このあたりのメモリカードのファイルが損傷していて写っていなかった。
この時代のデジカメって大して容量もないわりに、ときどきファイルが壊れたのだ。
寺までの道のりには途中あまり高低差もなく、25分ほどで到着。
途中、くさり場で時間を使わなければ20分くらいで寺まで行けるだろう。
山門は三間一戸二重門。
意匠は全体的に和様、総けやき造り。
金剛力士像。阿形。
吽形。
真っ赤に塗られている。
山門を裏からみたところ。右側に階段があるが参詣者が登ることはできない。
山門の中に収蔵されていた立て札。
8月18日深夜0時から行われる例祭は現在でも女人禁制で、19日になるまでは女性は境内に立ち入れない。
山門に置かれた消防ポンプ。
使われてはいなさそう。
山門をくぐると右側には水盤舎。
山門の左側には鐘堂がある。
山門と鐘堂は年代が近そうで、江戸末期か明治くらいではないかと思われた。
鐘楼の前には護摩壇がある。
奥にあるのは開山の役行者像。
役行者近影。
山門から先は境内が1段高くなっていて、主要伽藍はその上になる。
巨大な錫杖の形をした塔が目立つ。
鳥居があるが、これが山王鳥居。
一般に山王鳥居は日吉神社の鳥居とされるので、対応する仏教宗派は天台宗なのだが、ここ高越寺は現在は真言宗大覚寺派だ。
石段を登った左側には謎の小堂。
この脇から高越神社へ登る道があるので高越神社の社務所的なものか。
心経塔。
宝剣の形をした塔で、内部には信徒が奉納した写経が収蔵されているという。
本堂。
本堂といってもほぼ神社的な建築物だ。伽藍は戦前に火事ですべて焼けて再建。焼け残ったのは山門と鐘堂だけだったそうだ。
伽藍の再建にあたっては村の青年団が徒歩の登山道で資材を歩荷したという話をこうつの里で入浴中に聞いたことがある。
本堂を横からみたところ。
後ろ半分は瑞垣で覆われている。
錫杖塔。
八角堂ともいえるかもしれない。
八角の各面に観音菩薩、阿弥陀如来などのレリーフがかけられている。
錫杖の塔身には「南無恭敬供養三界萬霊」の文字。
錫杖塔の内部。
塔の上部は空洞で、天井がなく吹き抜けになっている。仏画がかかっていた。
錫杖塔の背後にある護摩堂。
内部には護摩壇があり、不動明王が祀られている。
脇侍の代わりに役行者像が置かれていた。
護摩堂の左側には納経所と客殿と庫裏。
本堂の後ろには井戸がある。
例祭のときに水垢離ができそう。
本堂の後ろにある休憩所。
例祭が深夜から始まり一昼夜に及ぶので関係者の休憩所になるのだろう。
境内にはほかに女人堂がある。
山門の外側に50mほど下ったところだ。
例祭時、女性はここで待機し19日深夜1時になったら祈祷に参加できる。
かなり大きな建物なので参加する女性が多いのかもしれない。
(2002年11月17日訪問)