
紀和町の丸山千枚田は、日本を代表する千枚田のひとつだ。
7.2ヘクタール、13,00枚強の田んぼがある。「千枚田」の名前を凌駕する枚数、そしてその全貌が1ヶ所の耕地に一望できるというところが丸山千枚田のすごさだと思う。棚田百選の申請に提出された資料を基準にすれば、国内には2,000枚を超える棚田がいくつかある。だけど実際に行ってみると山間地の谷に分散していて規模がわかりにくい物件も多い。
県道にある展望所から見た丸山千枚田の全景。➡ 展望所の場所
この場所にいつのころから棚田が造られたのかはわからないが、少なくとも江戸初期にはあったことが資料で確認できるという。最盛期には2,000枚以上の田んぼがあったが、生産性の低さから耕作面積は減り続け、1990年ごろには500枚ほどが耕作されるだけで、耕作放棄された圃場は藪や潅木に覆われていた。
この棚田の価値に気づいた自治体が1993年に復田に着手し、町の予算を使って十年近くかけて現在の姿に復元した。

私が初めて丸山千枚田を訪れたのは1999年3月。季節外れの大雪であたりは雪景色に変わっていた。このころには復田事業がひと区切り付き、現在と同様の耕作面積が確保されていた。棚田サミットがこの地で行われたのもその年だった。
このころから丸山では棚田オーナー制度を設けていて、全面積の1/4ほどの耕作が市民からの寄付で賄われている。出資は1口3万円で、農作業体験ができるほか、10kgの米がもらえる。

棚田に雲の影が流れてゆく。壮大な風景。
日本にもこんな雄大な田んぼがあるのだと感動を覚える。

展望台を離れ、田んぼの近くまで行ってみる。

法面は石垣積み、一部は土坡。
ただし石垣は垂直に積まれたタイプではなく、斜面になっているので耕作面積は狭い。

千枚田の全体図。
ん~? いま改めて見ると水車小屋なんて書いてあるけれど、気づかなかった。それとも気づいたけど、別に~?って感じで素通りしたのだったか。

あとで写真を見直してみると、どうやら矢印の建物が水車小屋ということみたい。


田んぼに立て札があるのはオーナーが出資している田んぼだ。

その田んぼの管理は地元の農家によって行なわれてる。

美しい風景を維持することはこんな地道な農作業の連続なのだ。
でも田んぼ1枚1枚が小さいから、作業が進んでいる実感があって気持ちの上でやりやすいかもしれない。

ただ気になることもある。オーナー制度は1口3万円だから100人出資者いても300万円。これだとせいぜい1人くらいしか雇えない。1,000人くらい出資者がいるのか、あるいは対外的にオーナー制度が上手くいってますという体で、実質は自治体の補助金がメインなのか・・・。
何にしてもオーナー制度は持続可能な農業の姿というのとはちょっと違うような気がする。

農業って、過疎地の年金生活者を一人親方として安く雇用できるから成立するとか、文化だからと補助金を延々と注ぎ込んで続けるというものじゃなく、やっぱり作物の売上げで次世代を育てられてその結果として続くのが持続可能ってことだと思うのだ。
稲作が黒字になるためには10ヘクタールくらいを1戸で耕作する必要があるという話を米農家で聞いたことがある。棚田の反収は平地の半分というから、丸山千枚田の全7.2ヘクタールを1戸で耕作しても到底食べていけないことになる。

いまのお年よりが居なくなった後、この美しい風景がこれから何十年も維持できるのだろうか少し心配になってしまう。
でも将来多くの棚田が消えていったとしても、ここ丸山は最後まで残る棚田のひとつになることは間違いないだろう。

案内図にあった丸山神社。

案内図にあった大石。
斜面を開墾したとき大きすぎて割れなかった岩なのだろう。

特に神社などが祀られている様子はなかった。
(2012年07月07日訪問)