桑名宿

堀に残る船着き場の石段が見どころ。

(三重県桑名市船馬町)

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江戸時代、東海道をゆく旅人の多くは、名古屋の宮宿(熱田宿)から7里(約28km)の海路で桑名宿まで一気に移動した。この区間は木曽三川の氾濫原で、たびたびの洪水で流路が変わったりしたため陸路の整備がしにくかったのだ。

海路は帆走船で片道4~5時間だったというから、歩くのに比べればかなりのスピードで移動できたことになる。料金も1,500円程度だったようで、多くの旅人が利用できた。

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東国から東海道を使って西を目指すというと、現代では東京からビジネスで京阪神へ向かうイメージだが、江戸時代には伊勢参りを目的に移動する人が多かった。伊勢神宮に参詣するという理由であれば通行手形が発行され、実質的にレジャーとしての旅行が可能だったからだ。

その人々が上陸した港に江戸中期にはランドマークとして鳥居が立てられた。神社があるわけではない。伊勢神宮への玄関口というような意味合いだったろう。

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現在もその鳥居は復元されて残っている。

この場所からまた東海道の陸路が始まるのだ。ベージュのカラー舗装されいる部分が旧東海道になる。

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桑名宿はこの河港部分にあった宿場町で、船待ちの人々が滞留することもあったため東海道でも最も大きな宿場町のひとつとなった。

東海道はここから南へ進み、四日市を目指すことになる。

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で、現在その面影が色濃く残っているかというと、なんとなくは感じられるのだが、空き地が多く、古い建物もまばらで、宿場町の景観としては正直あまりぱっとしない。

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明治時代に入って江戸時代には禁止されていた橋の整備が進み、国道1号線に沿ったルートが整備されると、七里の渡しは明治4年には廃止された。

それにともない桑名の宿場町としての機能は早い時期に失われたのだろう。

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町並みの途中にある石橋。

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この橋か上らかつての河港だった堀の様子が見渡せる。

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七里の渡しがにぎわったころ、ここに船宿が並んでいたのだ。

石垣にはところどころに川へ降りる石段がある。これらはすべて船着き場へ降りるためのものだったと思われる。

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桑名宿の見どころは、街道筋に残る商家の建築ではなく、この裏手にある船着き場の跡だ。

こうした造りの家並は桑名城の近くまで、約400mほど続いている。

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城から南方向の東海道の様子。

車で走ってみてもよかったのだけど、そろそろお昼時刻なので、東海道を離れ、食事場所を探すことにした。

(2024年12月13日訪問)