仙波台地の西側の崖線の赤間川(新河岸川上流の名前)。
私は学生時代を川越市内で過ごした。川越を離れてからは同好会の引率などで観光に来たことがあるが、むかし住んだ町内を足で歩くのは卒業以来になる。
東武東上線川越市駅から歩いて10分ほどの閑静な住宅街、ここで私は風呂無しのアパートに住んでいた。何もかもが懐かしく、と同時に、苦しくもどかしい記憶と結びついた場所だ。

独り暮らしの4年間を私は疎外感や喪失感、執着と煩悶の中で送った。それでも発狂もせず、自死することもなくなんとか過ごせたのだった。
夕刻に古ぼけた町をいつまでも徘徊したり、西に遠く見える山並みを目指して原チャを遠乗りすることで、鬱屈とした独りの部屋から離れていられたのがよかったのかもしれない。
だから私にとってこの町は、ひとつの魂がゆっくりと死んで、分別のある憂うつな生きものに生まれ変わった、第二のふるさとと言ってもいい土地なのだ。

でもきょうここを訪れたのはそんな感傷にひたるためではない。
赤間川に見たことがない場所がないかと航空写真を眺めていたとき、川の中に横断構造物が見えたからそれを確かめに来たのだ。

このあたりは住宅街で観光とは無縁の場所だが、川沿いを歩ける細い路地があり、川は暗渠になることもなく川面を日光に晒して輝いていた。
下水道が整備され家庭の雑排水の流入は少ないのだろう。町の中の川にしては水は比較的きれいだ。

これが航空写真で気になった構造物のひとつ。
航空写真では飛石かと思ったのだが、そうでもない。川を横断するように杭が打ち込まれたものだった。
何の機能があるのかはまったく不明。

もうひとつ気になった構造物。
これは落差工かな。

空き缶やプラゴミが引っかかっているが、あまり悪い感じではない。
私は河川のゴミに関しては比較的寛容というか、意図的に投機されたものは別として、ゴミも含めて自然現象だと思っているフシがあるのだ。

川岸はコンクリの護岸なのだが、その手前に杭や板で緩衝帯のようなものが設けられ、そこに水辺の草が生えたり、増水時に生きものの避難場所になったりしているようだ。

小さなワンドができて鯉の隠れ場所にもなっている。

こちらもたぶん生きものの隠れ場所として設置された専用の石垣。
アカミミガメが甲羅干ししていた。

川へ降りる石段もある。
赤間川の市街地部分はこのように川を生きたまま残そうという配慮が見られる。
こういうところは私の住む本格的な田舎よりも、首都圏の衛星都市のような場所のほうが設備投資がされていてうらやましい。
(2023年04月23日訪問)