
田谷堰から赤間川(新河岸川の上流の名前)をさかのぼる。
川幅は広く、河道内に歩道がある。親水公園のようになっているのだ。

坂下橋の手前に飛石があり、歩道は川を渡って続いていた。

飛石の前後に床止め工みたいな石があるので、水が少ないときはその上でも遊べる。

その上流にも飛石が。

どうやらこの辺りは親水公園で飛石が大量に造られているようだ。

そこからさらに上流に行ったところにある高沢橋。
この橋の周りには船着場みたいなものがある。まるで江戸時代から船着場があったような雰囲気の場所なのだが、これが造られたのはたぶん平成30年前後で新しい。

ただ、この場所って昔からすっごく河岸場っぽい雰囲気があったのだ。
私は川越市内に4年間住んだ。そのころの菓子屋横丁は観光客が10日に1人来るかどうかっていうさびれた場所だったが、それでも地元の人から見て高沢橋界隈は河岸の雰囲気のある場所だなと思っていたのだ。

これは石橋だった旧高澤橋の写真。同橋は明治23年に架橋され、明治43年の水害で流されて鉄橋に替わったので明治時代の風景である。よく見るとアーチの下に川棚だか桟橋のようなものがあり見物客が川面に降りている。このころも河岸場のような雰囲気があったのだ。
水量も多く、新河岸川の荷船がここまで遡上できたのではないかという感じもある。その頃の新河岸川は伊佐沼経由だったから遠回りにはなるが、仙波河岸と比較して中心街に近いので、もしもここまで舟が来られたら極めて利便性が高かったと思われる。


私が住んでいたころに比べると川越の旧市街は観光化が著しく、特に菓子屋横丁が観光地になったため回遊する人の導線が変化した。
この場所が親水公園になったことで散策の休憩場所にもなっているし、開発がとても上手く回っていると感じられる。


行政からすると比較的安価に造れる上、あまり管理費もかからない便利な施設なのかもしれない。

さらに上流の赤間川公園の前にも飛石がある。

対岸の子どもが公園に遊びに行く近道にもなっていそう。

なぜか鯉が群れていた。産卵しているのかな。

このあたりから上流はさすがに観光客は来ない。
もう少しだけ赤間川をさかのぼってみよう。
(2023年04月23日訪問)