

火の見櫓のたもとには消防団の詰め所。

半鐘はすでに失われていて、現在は主にホースの乾燥塔として使われている。

この沼袋という集落は元々は堤外地という浸水リスクの高そうな土地だが、あからさまな水塚などは目に付かなかった。

明治初期の地図で、火の見の場所に"⇩"を置いてみた。
老袋集落の場所は古くは入間川と荒川の合流点の「股」に位置し、頻繁に水害にさらされる土地だったはずだ。でも江戸時代前期にすでに入間川は直線化され、旧河道は古川と呼ばれる小さな川になっている。入間川の付け替えで、多少は安全な土地になったのだろう。
それでも右岸堤防と左岸堤防の位置を見ると、集落全体が完全に堤外地(堤防の川の側)にあることに変わりはなく水害のリスクは高かった。

明治初期の地図に現在の土地の起伏を加えてみた。入間川は新右岸堤防と背割堤に閉じこめられ、合流点もだいぶ下流に移動した。この改修で老袋はさらに安全な場所になったといえる。
(2022年11月06日訪問)