江戸時代に川越と熊谷をむすんでいた川越松山往還。川島町区間は国道254号線に相当するが、そのルートは現在とはだいぶ違っている。国土地理院地図に黄色のラインで明治以前の街道のルートを書き込んでみた。
この街道が長楽用水を横断している箇所に音羽橋という橋がある。
橋の南側の街道。
いまは車通りも少ない町道だが、道幅も広く、かつては街道だという雰囲気は残っている。
北側の風景。
中央が音羽橋なのだが、その部分だけが道幅が橋に合わせてすぼめられている。
音羽橋のある交差点は独特の雰囲気を持っているので、町歩きなどが好きな人であればどの方向から来ても「何かありそう」と気付くだろう。
橋のたもとには川面に下りる石段もある。
音羽橋をよく見ると橋台が川の中にせり出していて、実際の橋長はすごく短いことがわかる。
実はこれ、橋桁1スパンの石橋なのだ。つまり六地蔵橋と同じ造り。
反対側から見ると橋桁の石材が見えている。
つまり路面はアスファルト舗装されているが、音羽橋の骨格は石橋なのである。
そして音羽橋を際立たせているのが南詰めで向かい合う1対の青面金剛。
まるで街道を行き交う人々を監視しているみたい。
東側の像。
銘は読みやすく、安永10年(江戸中期)とある。
左手にはショケラ。
邪鬼はむっちり。
三猿は両側の猿が向かい合っている造形。
西側の像。
こちらは銘が読みにくいが「宝暦」となっている。東側の像よりも20年くらい古いことになる。
三猿はそれぞれにくぼみに収まったデザイン。
(2025年09月11日訪問)
